佐藤、豊田を翻弄した巡り合わせの不運。

代表では巡り合わせの不運もあり、大きな活躍を見せられていない豊田(左)と佐藤。しかし、Jリーグでもたらしてきた歓喜は、代表での活躍の有無に関わらず、色褪せることはない。(C) SOCCER DIGEST
Jリーグの得点王争いで常連になっている佐藤や豊田には、巡り合せの不運もあった。小柄な1トップもあり得るという発想が広まったのは、まだ最近のことだ。日本代表でもザック時代後半までは、やはり1トップには密集したボックス内でも潰されずにボールを収められる強さが求められてきた。
ジーコは、ドイツで活躍して来た高原直泰や並外れた身体能力を持つ久保竜彦を好み、岡田監督もワールドカップ本番では本田を1トップに据えた。俊敏な佐藤は、駆け引きやシュート技術には長けていたが、タメを作りポストワークをこなせるかという点で疑問符がつく。実際にイビチャ・オシムは、佐藤を抜擢しては見たものの最前線には置かなかった。
一方ザック後期以降は、逆にターゲットマンとしての豊田やハーフナーへの需要が薄れた。結局佐藤があと5年遅く、逆に豊田は5年早く生まれていれば、もっとワールドカップに肉薄できていたのかもしれない。
また開花した後の佐藤が広島、豊田は鳥栖一筋だったことも、きっと立場を難しくした。広島はJリーグ優勝も果たしたし、鳥栖もプロビンチャとしては異例の躍進を遂げ、ふたりとも明らかに立役者としてクローズアップされたが、どちらも国内では異質なスタイルで戦ってきた。少なくとも日本代表が選択するシステムやスタイルとは、かけ離れていた。
ジーコは、ドイツで活躍して来た高原直泰や並外れた身体能力を持つ久保竜彦を好み、岡田監督もワールドカップ本番では本田を1トップに据えた。俊敏な佐藤は、駆け引きやシュート技術には長けていたが、タメを作りポストワークをこなせるかという点で疑問符がつく。実際にイビチャ・オシムは、佐藤を抜擢しては見たものの最前線には置かなかった。
一方ザック後期以降は、逆にターゲットマンとしての豊田やハーフナーへの需要が薄れた。結局佐藤があと5年遅く、逆に豊田は5年早く生まれていれば、もっとワールドカップに肉薄できていたのかもしれない。
また開花した後の佐藤が広島、豊田は鳥栖一筋だったことも、きっと立場を難しくした。広島はJリーグ優勝も果たしたし、鳥栖もプロビンチャとしては異例の躍進を遂げ、ふたりとも明らかに立役者としてクローズアップされたが、どちらも国内では異質なスタイルで戦ってきた。少なくとも日本代表が選択するシステムやスタイルとは、かけ離れていた。