ベルギーと日本のサッカーの違いは?
――ベルギー時代の話も聞かせてください、13年1月に横浜からスタンダールへ移籍したのはどういう経緯で?
「永井謙佑選手と同じタイミングで、川島永嗣選手もリールセからスタンダールに行ってちょうど半年くらいでした。ロンドン五輪で活躍した(当時は名古屋に所属していた)永井君をスタンダールのスカウトが見に来ていて、マリノスと名古屋の試合で僕に興味を持ってくれたという話は聞きました。それで、シーズンが終わったタイミングでオファーが来たという感じだったと思います。
――海外のクラブからオファーがあれば行きたいという気持ちだった?
「プロになった時から、海外でプレーしたいという気持ちはありました。ただ、その時のベルギー・リーグはいまみたいに、日本では有名ではなく、ベルギー代表自体もそこまで強くなかった。周りの人から、マリノスの10番を捨ててまでなんのためにヨーロッパ行くのかとか、ステップダウンじゃないかと言われたこともありました。
でも、自分は行ってみたいという気持ちが強くて、行ってみなきゃ何も分からないと思っていました。なので、話を頂いてすぐ『行きます』と。ベルギーに行くまで、どんなリーグでスタンダールがどんなクラブかも全然分からなくて。とりあえず『川島さんがいる』ということぐらいしか分からなかった(笑)。永井君が同じチームに入るということも、向こうに行ってから知ったんじゃなかったかな」
――実際にベルギーでプレーして、レベルは?
「レベルは高かったですね、僕がいた時は、アンデルレヒト、スタンダール、ヘンク、クラブ・ブルージュ、ヘントの5チ―ムぐらいが抜けていて、それ以外は中堅から下と言う感じだった。スタンダールは勝つのが当たり前みたいなチームだったので、ファンもそういう目で見ていました。ダービーの前なんかにサポーターが発煙筒を焚いて練習場に乗り込んでくるとか、そんなのが日常茶飯事でしたね。
選手がそのサポーターたちのところに行って、『俺らは練習があるから、明日応援してくれ』って直接話したりとか、そういう環境でした。リーグやクラブの歴史が100年くらいあって、もう生活の一部というか、サポーターの人たちのクラブやサッカーが生きがいみたいな感じはすごかったですね」
――日本のサッカーとの違いは?
「やはりパワーとスピードはすごかったですね。本当に縦に速い。マリノスにいた時は、繋いで繋いでという感じでしたけど、向こうは、前にスペースがあるんだったら蹴って走れ、みたいな。前線にはだいたい大柄のストライカーがいて、その選手がボールをキープして、どんどん追い越していく。悪く言うと、間延びしたサッカーになることが多く、その分1対1の局面が多くなる。
だから、球際のところで闘えなかったら、チームメイトからも信頼されないし、どれだけ上手くてもファイトできなければ試合に出られない。日本だったらファウルを取られるようなプレーが、流されることもよくありました。練習の時から勝ち負けにこだわりがあって、そういうところはすごかったですね」
――ベルギ―から帰ってきて、鳥栖では横浜時代とは違う激しさを感じました。ベルギーで学んだものが大きかった?
「そうですね。そこは変えちゃいけないと思いますし、そういう風なプレーをしようというのは心掛けてましたね。ただ、どうしても何年も日本でプレーしていると、その環境に慣れてしまうというのはありますね。サッカーが違うので。向こうだったら、前を向いてボールを持ったら、あと半歩近くで来ていたなとか、違いを感じることはありますね」
――小野選手がスタンダールの後に移籍したシント=トロイデンをはじめ、今では多くの日本人選手がベルギーでプレーしています。
「すごく良いと思います。僕がシント=トロイデンにいた時は、いまとは会長も違っていて、ほかに日本人は一人もいなかった。ちょうど2部から1部に上がったタイミングで行ったので、まだ1部に定着するようなチームじゃなかった。それに比べたら、今は1部で良いサッカーをしていると思います。
日本人選手が行きやすい環境だとは思いますけど、違うチームで上手くいかなかったから、とりあえずシント=トロイデンに行こうとかじゃなくて、本当に上を目指す、自分がステップアップするために行くんだという気持ちであれば、クラブも成長するし、選手もどんどん羽ばたいていけるのかなと。ただ、どうしても日本人で固まってしまうと思うので、せっかく海外に行ってるんだから、他の国の選手と関わって色んな文化、考え方を吸収したほうがプラスになるとは思います」
「永井謙佑選手と同じタイミングで、川島永嗣選手もリールセからスタンダールに行ってちょうど半年くらいでした。ロンドン五輪で活躍した(当時は名古屋に所属していた)永井君をスタンダールのスカウトが見に来ていて、マリノスと名古屋の試合で僕に興味を持ってくれたという話は聞きました。それで、シーズンが終わったタイミングでオファーが来たという感じだったと思います。
――海外のクラブからオファーがあれば行きたいという気持ちだった?
「プロになった時から、海外でプレーしたいという気持ちはありました。ただ、その時のベルギー・リーグはいまみたいに、日本では有名ではなく、ベルギー代表自体もそこまで強くなかった。周りの人から、マリノスの10番を捨ててまでなんのためにヨーロッパ行くのかとか、ステップダウンじゃないかと言われたこともありました。
でも、自分は行ってみたいという気持ちが強くて、行ってみなきゃ何も分からないと思っていました。なので、話を頂いてすぐ『行きます』と。ベルギーに行くまで、どんなリーグでスタンダールがどんなクラブかも全然分からなくて。とりあえず『川島さんがいる』ということぐらいしか分からなかった(笑)。永井君が同じチームに入るということも、向こうに行ってから知ったんじゃなかったかな」
――実際にベルギーでプレーして、レベルは?
「レベルは高かったですね、僕がいた時は、アンデルレヒト、スタンダール、ヘンク、クラブ・ブルージュ、ヘントの5チ―ムぐらいが抜けていて、それ以外は中堅から下と言う感じだった。スタンダールは勝つのが当たり前みたいなチームだったので、ファンもそういう目で見ていました。ダービーの前なんかにサポーターが発煙筒を焚いて練習場に乗り込んでくるとか、そんなのが日常茶飯事でしたね。
選手がそのサポーターたちのところに行って、『俺らは練習があるから、明日応援してくれ』って直接話したりとか、そういう環境でした。リーグやクラブの歴史が100年くらいあって、もう生活の一部というか、サポーターの人たちのクラブやサッカーが生きがいみたいな感じはすごかったですね」
――日本のサッカーとの違いは?
「やはりパワーとスピードはすごかったですね。本当に縦に速い。マリノスにいた時は、繋いで繋いでという感じでしたけど、向こうは、前にスペースがあるんだったら蹴って走れ、みたいな。前線にはだいたい大柄のストライカーがいて、その選手がボールをキープして、どんどん追い越していく。悪く言うと、間延びしたサッカーになることが多く、その分1対1の局面が多くなる。
だから、球際のところで闘えなかったら、チームメイトからも信頼されないし、どれだけ上手くてもファイトできなければ試合に出られない。日本だったらファウルを取られるようなプレーが、流されることもよくありました。練習の時から勝ち負けにこだわりがあって、そういうところはすごかったですね」
――ベルギ―から帰ってきて、鳥栖では横浜時代とは違う激しさを感じました。ベルギーで学んだものが大きかった?
「そうですね。そこは変えちゃいけないと思いますし、そういう風なプレーをしようというのは心掛けてましたね。ただ、どうしても何年も日本でプレーしていると、その環境に慣れてしまうというのはありますね。サッカーが違うので。向こうだったら、前を向いてボールを持ったら、あと半歩近くで来ていたなとか、違いを感じることはありますね」
――小野選手がスタンダールの後に移籍したシント=トロイデンをはじめ、今では多くの日本人選手がベルギーでプレーしています。
「すごく良いと思います。僕がシント=トロイデンにいた時は、いまとは会長も違っていて、ほかに日本人は一人もいなかった。ちょうど2部から1部に上がったタイミングで行ったので、まだ1部に定着するようなチームじゃなかった。それに比べたら、今は1部で良いサッカーをしていると思います。
日本人選手が行きやすい環境だとは思いますけど、違うチームで上手くいかなかったから、とりあえずシント=トロイデンに行こうとかじゃなくて、本当に上を目指す、自分がステップアップするために行くんだという気持ちであれば、クラブも成長するし、選手もどんどん羽ばたいていけるのかなと。ただ、どうしても日本人で固まってしまうと思うので、せっかく海外に行ってるんだから、他の国の選手と関わって色んな文化、考え方を吸収したほうがプラスになるとは思います」
――いまの日本代表では、小野選手と同じ“プラチナ世代”の選手が活躍しています。刺激をもらうこともありますか?
「(伊東)純也に関しては、小学校の時から知っていて、高校(神奈川県立逗葉高)も同じでした。僕がマリノスのユースで、純也は高校の部活で。だから、本当に尊敬していますし、頑張って欲しいなと思います。ベルギーに限らず、海外のクラブで1シーズンずっと出続けるのは、けっこう難しいんです。調子が良いときはいいですけど、チームの状態が悪くなった時に、日本人は外されすいので。そんななかで、ベルギーで活躍してチームの中心として出続けるのはすごいなと思います。
他の代表選手も何回かプレーしたことがあったりしますけど、引き続き日本代表を強くしてほしいですね。刺激は少なからずもらいますけど、自分は今やらなきゃいけないこと、自分ができること、今はこのクラブに貢献するということが、やりたいこと、やらなきゃいけないことなので、そこにフォーカスして、ガンバでしっかり結果を出したいと思います」
――最後に、今シーズンも残り少なくなりましたが、今後に向けての意気込みをお願いします。
「今シーズンなかなかチームとして上手くいかず、上のチームとも勝点差が離れてしまいましたが、一つでも順位を上げてガンバというクラブの価値を保ちたい。そして、こんな状況でも毎試合見に来てくれているファン・サポーターの方に少しでも戦う姿を見せて、またたくさんの人が見に来れるようになった時に、行きたいなと思ってもらえるようなシーズンの終わり方ができればと思っています」
取材・文●江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)
「(伊東)純也に関しては、小学校の時から知っていて、高校(神奈川県立逗葉高)も同じでした。僕がマリノスのユースで、純也は高校の部活で。だから、本当に尊敬していますし、頑張って欲しいなと思います。ベルギーに限らず、海外のクラブで1シーズンずっと出続けるのは、けっこう難しいんです。調子が良いときはいいですけど、チームの状態が悪くなった時に、日本人は外されすいので。そんななかで、ベルギーで活躍してチームの中心として出続けるのはすごいなと思います。
他の代表選手も何回かプレーしたことがあったりしますけど、引き続き日本代表を強くしてほしいですね。刺激は少なからずもらいますけど、自分は今やらなきゃいけないこと、自分ができること、今はこのクラブに貢献するということが、やりたいこと、やらなきゃいけないことなので、そこにフォーカスして、ガンバでしっかり結果を出したいと思います」
――最後に、今シーズンも残り少なくなりましたが、今後に向けての意気込みをお願いします。
「今シーズンなかなかチームとして上手くいかず、上のチームとも勝点差が離れてしまいましたが、一つでも順位を上げてガンバというクラブの価値を保ちたい。そして、こんな状況でも毎試合見に来てくれているファン・サポーターの方に少しでも戦う姿を見せて、またたくさんの人が見に来れるようになった時に、行きたいなと思ってもらえるようなシーズンの終わり方ができればと思っています」
取材・文●江國 森(サッカーダイジェストWeb編集部)