高校時代つけられたあだ名は「プリウス」
「大然の東京五輪のメンバー入りが決まって、彼の母親と連絡を取りました。『あの1年間は本当に大きかった』と言われましたけど、私もそう思います。大然がいろいろなことを考えて戻る努力をして大きく変わった。
なにより、人のために働くという力が身に着きました。それがサッカーにも表われ、チームのためにスピードを生かせるようになったんじゃないですかね」(吉永)
前田自身も今年6月29日に行なわれたオンライン取材で同じような想いを口にした。
「それ(高校1年生)までは自分が自分がという感じでした。ただ、ひとりではサッカーも生活もできない。たくさんの人の支えがあるからプレーできていると再確認しました。チームのために走るというマインドは、あの時に学びました」
こうして前田は空白の1年を経て、足の速さを生かした献身的なスタイルを身に付けたのだった。
なにより、人のために働くという力が身に着きました。それがサッカーにも表われ、チームのためにスピードを生かせるようになったんじゃないですかね」(吉永)
前田自身も今年6月29日に行なわれたオンライン取材で同じような想いを口にした。
「それ(高校1年生)までは自分が自分がという感じでした。ただ、ひとりではサッカーも生活もできない。たくさんの人の支えがあるからプレーできていると再確認しました。チームのために走るというマインドは、あの時に学びました」
こうして前田は空白の1年を経て、足の速さを生かした献身的なスタイルを身に付けたのだった。
前田が1年間もサッカー部にいなかったため、後輩は復帰の際に初めて、そのプレーを目の当たりにした。1学年下の相田勇樹(現・八戸)は当時をこう振り返る。
「噂では聞いていましたけど、想像以上のバケモンでした(笑)。凄まじいスピードで裏に抜けるし、身長はそんなに高くないのに、空中戦がめちゃくちゃ強い。あと守備にも迫力がありましたね」
相田が今でも印象に残っている出来事がある。ある日の紅白戦。前田が相手CBに猛烈なプレッシャーをかけてボールを奪うと、そのままゴールを決めてみせたのだ。そのCBはこう言った。「追ってくる音が聞こえない」と。いつしか車の『プリウス』という愛称が付けられたという。静かなのに速い。言い得て妙な表現である。
話は戻るが、前田がサッカー部に復帰する時、吉永はこう話していた。
「大然には『持っているエネルギーすべてをサッカーに注いでほしい。高卒でのプロ入りを目指そう』と呪文のように言い続けましたね。ブランクもあって大変だったはず。でも、可能性はあると思いました」
「噂では聞いていましたけど、想像以上のバケモンでした(笑)。凄まじいスピードで裏に抜けるし、身長はそんなに高くないのに、空中戦がめちゃくちゃ強い。あと守備にも迫力がありましたね」
相田が今でも印象に残っている出来事がある。ある日の紅白戦。前田が相手CBに猛烈なプレッシャーをかけてボールを奪うと、そのままゴールを決めてみせたのだ。そのCBはこう言った。「追ってくる音が聞こえない」と。いつしか車の『プリウス』という愛称が付けられたという。静かなのに速い。言い得て妙な表現である。
話は戻るが、前田がサッカー部に復帰する時、吉永はこう話していた。
「大然には『持っているエネルギーすべてをサッカーに注いでほしい。高卒でのプロ入りを目指そう』と呪文のように言い続けましたね。ブランクもあって大変だったはず。でも、可能性はあると思いました」