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「このままでは置いておけない。転校も考えていただきたい」。恩師が明かす前田大然の人生の転機【東京五輪メンバーのルーツ探訪】

カテゴリ:日本代表

古沢侑大(サッカーダイジェスト編集部)

2021年07月29日

高校1年で頭角を現わした前田だったが…

吉永(左)は今でも前田の成長を見守り続けている。写真提供:吉永一明

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 時は2010年1月11日。冬の高校選手権・決勝で山梨学院が青森山田を1-0で下し、初出場で初優勝。その快挙に羨望の眼差しを向けた前田は、大阪から山梨への越境を目標に掲げた。吉永はこう語る。

「彼が中学3年生の夏、(大阪の)堺で行なわれた大会に山梨学院が出ていました。その時に練習参加をしてもらって試合にも出て、確か点も取ったのかな。うちの高校への進学を希望してくれているという話も聞いたので、誘わせてもらいました」

 こうして晴れて希望する山梨学院サッカー部の一員となった。寮生活を送りながら懸命にサッカーに取り組み、1年生ながら徐々に頭角を現わしていく。しかし、その冬に「大きなターニングポイント」(吉永)を迎える。

「大然が1年生の1月か2月に規律を守れないようなことがありました。横柄な態度が同級生の中で見られたんですね。それは絶対に許されないと思い、除籍を決断しました」
 
 吉永は台頭する前田の除籍を相当に悩んだ。それでも、サッカー選手である以前にひとりの人として考え、苦渋の決断を下した。大阪の実家にも足を運び、「このままでは置いておけません。転校も含めて考えていただきたい」と両親に伝えたという。

 前田は当時16歳でなおかつ親元を離れていた。逃げ出してもおかしくないようなシチュエーションだっただろう。それでも、前田は部への復帰を目指し、心を入れ替えていく。

 サッカー部の朝練が始まる7時前後にひとりで走り込みを始め、他の生徒が登校する前に校内を掃除。普段の学校生活もこれまで以上に真面目に送った。
 
 サッカー部ではなかったため、吉永は接触を極力避けたが、前田の担任の先生など多くの人と連絡を取り、見守り続けた。そこからしばらく経ち、ある決心をする。

「大然がだいぶ変わってきたタイミングで、サッカー部に戻る準備じゃないですけど、社会人チームで週に何回かボールを蹴る機会を与えました。これもいろんな関係者が動いてくれましたね」

 その後、除籍から約1年経ったある日、話し合いの場を設けた。吉永には「反省もしていて心も入れ替えていた」ように映り、本人にも復帰の意思があったという。そして、他の部員の賛同も得て前田は部に戻ることになった。
 
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