「この仕事を始めて、最初に評価したのは南野拓実と…」
――あなたは大のユニホームコレクターでもありますね。いつから、どうして日本代表のユニホームまで収集し始めたのですか?
「私が本格的にユニホーム収集を始めたのは、2003年からなんだ。モナコがビッグシーズンを実現していた年で、私がプロ選手たちと初めて接触した年でもあった。伯父の凄いコレクションを見てね、私も伯父と同じぐらい壮大な豪華コレクションに挑戦しようと思ったんだ(笑)。いまでは私も、複数の時代にわたる超ビッグネームのユニホームを何枚か持っているよ。
日本について言えば、一番古いのは中田(英寿)のユニホームだ。これは私のコレクションの中でも最も美しい、珠玉のユニホームかもしれないな! 中田はゴールデンフット賞の関係でモナコに来ていてね、このイベントをオーガナイズしていた役員の一人が、私がビッグプレーヤー中田のユニホームを本当に欲しがっていることをよく知っていたんだ。それで彼が中田に頼んで、私に預けてくれた。私はそれをとても大事にしている。
コンタクトを通じて日本代表のユニホームを毎年手に入れようとし始めたのも、それからだね。日本代表のユニホームも本当に大事にしている。デザインスタイルという点で他国と違っていて、ユニーク。いま現在の日本代表が身に着けているバージョンも大好きだ。でもパンデミーのせいでまだ手に入れられなくて……。
日本に行くたび、Jリーグのユニホームもたんまり入手して戻ってくるんだよ。好きだと思ったものを選択するわけだけれど、オリジナリティーを感じて選ぶこともある。ひとつのチームの毎シーズン違ったユニホームも、すでにかなりたくさん持っているよ」
「私が本格的にユニホーム収集を始めたのは、2003年からなんだ。モナコがビッグシーズンを実現していた年で、私がプロ選手たちと初めて接触した年でもあった。伯父の凄いコレクションを見てね、私も伯父と同じぐらい壮大な豪華コレクションに挑戦しようと思ったんだ(笑)。いまでは私も、複数の時代にわたる超ビッグネームのユニホームを何枚か持っているよ。
日本について言えば、一番古いのは中田(英寿)のユニホームだ。これは私のコレクションの中でも最も美しい、珠玉のユニホームかもしれないな! 中田はゴールデンフット賞の関係でモナコに来ていてね、このイベントをオーガナイズしていた役員の一人が、私がビッグプレーヤー中田のユニホームを本当に欲しがっていることをよく知っていたんだ。それで彼が中田に頼んで、私に預けてくれた。私はそれをとても大事にしている。
コンタクトを通じて日本代表のユニホームを毎年手に入れようとし始めたのも、それからだね。日本代表のユニホームも本当に大事にしている。デザインスタイルという点で他国と違っていて、ユニーク。いま現在の日本代表が身に着けているバージョンも大好きだ。でもパンデミーのせいでまだ手に入れられなくて……。
日本に行くたび、Jリーグのユニホームもたんまり入手して戻ってくるんだよ。好きだと思ったものを選択するわけだけれど、オリジナリティーを感じて選ぶこともある。ひとつのチームの毎シーズン違ったユニホームも、すでにかなりたくさん持っているよ」
――フランスで開催された1998年ワールドカップは、日本人の脳裏に強烈に焼きつきました。あのワールドカップの具体的な思い出もありますか?
「あの年は……5歳だったんだ(笑)! だからあのワールドカップの思い出は、たくさんあるとは言えない。ただ、フランスが盛り上がって、レ・ブルーが優勝したときはもの凄い熱狂の渦になった、あのイメージはよく覚えているね。
だから、私の日本代表の最初の思い出も、日韓共催の2002年ワールドカップなんだ。日本がグループリーグをよく戦って、首位で突破したのを覚えている。不幸なことに、サプライズチームになった当時のトルコに敗れ、敗退してしまったことも、ね」
――これまで三浦知良、中田英寿、本田圭佑、香川真司といった何人かの日本人選手たちが、外国人からも評価されました。その後もかなりの日本人選手たちが、彼らの轍(わだち)を辿ろうとヨーロッパでプレーしています。好きな日本人選手はいますか?
「フランスでワールドカップ初出場を果たして以来、日本のフットボールは巨大な進歩を遂げたと思う。Jリーグのクラブは優秀な選手たちを育成し、多くがヨーロッパでプレーするようになっている。正真正銘の「養魚池」がそこにはある。私は仕事柄、たくさんの日本人選手をビデオで見たり、日本に出張したときはナマでも見たりしてきて、所属クラブやユース代表でデビューしたときからずっと追っている選手も何人かいる。
この仕事を始めて最初に本当に高く評価したのは、南野拓実と堂安律で、少し後には板倉滉も評価したね。2017年にはモナコのためにU-20ワールドカップを視察したが、そのときは冨安健洋も目に留まった。日本に出張した際には、鹿島アントラーズの安部裕葵もかなりいいと思った。これらの選手たちは、ゆくゆく非常に素晴らしいフットボーラーになると思う。彼らの現在のキャリア進展ぶりをみても、私の考えは間違っていなかったと感じているよ」
「あの年は……5歳だったんだ(笑)! だからあのワールドカップの思い出は、たくさんあるとは言えない。ただ、フランスが盛り上がって、レ・ブルーが優勝したときはもの凄い熱狂の渦になった、あのイメージはよく覚えているね。
だから、私の日本代表の最初の思い出も、日韓共催の2002年ワールドカップなんだ。日本がグループリーグをよく戦って、首位で突破したのを覚えている。不幸なことに、サプライズチームになった当時のトルコに敗れ、敗退してしまったことも、ね」
――これまで三浦知良、中田英寿、本田圭佑、香川真司といった何人かの日本人選手たちが、外国人からも評価されました。その後もかなりの日本人選手たちが、彼らの轍(わだち)を辿ろうとヨーロッパでプレーしています。好きな日本人選手はいますか?
「フランスでワールドカップ初出場を果たして以来、日本のフットボールは巨大な進歩を遂げたと思う。Jリーグのクラブは優秀な選手たちを育成し、多くがヨーロッパでプレーするようになっている。正真正銘の「養魚池」がそこにはある。私は仕事柄、たくさんの日本人選手をビデオで見たり、日本に出張したときはナマでも見たりしてきて、所属クラブやユース代表でデビューしたときからずっと追っている選手も何人かいる。
この仕事を始めて最初に本当に高く評価したのは、南野拓実と堂安律で、少し後には板倉滉も評価したね。2017年にはモナコのためにU-20ワールドカップを視察したが、そのときは冨安健洋も目に留まった。日本に出張した際には、鹿島アントラーズの安部裕葵もかなりいいと思った。これらの選手たちは、ゆくゆく非常に素晴らしいフットボーラーになると思う。彼らの現在のキャリア進展ぶりをみても、私の考えは間違っていなかったと感じているよ」