伝説のOBたちがいま明かす、埼玉サッカー界が誇る“鬼マツ”松本暁司の奥深き生きざま──

カテゴリ:高校・ユース・その他

河野正

2019年09月17日

日本代表にも選出。世界に通じる選手の育成を念頭に

松本先生の斎場には3色のユニホームや優勝写真などが飾られ、現在応援で使用されているゲーフラも登場した。写真:河野正

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 松本先生は埼玉大学卒業後、教員として県立春日部高校への赴任が内定していたが、ちょうどメルボルン五輪の日本代表候補合宿が大宮市であり、GKだった先生は初招集された。そこで県教育委員会は代表活動への便宜を図り、教員よりも自由に動ける浦和市教育委員会へ“移籍”してもらった。
 
 ここで勤務した4年間、竹腰重丸、高橋英辰、川本泰三という3人の監督時代、何度も日本代表に呼ばれ、1958年12月28日にマレーシアで行なわれたマラヤとの国際Aマッチに出場。二宮寛、渡辺正、川淵三郎といった後の日本代表監督とともにプレーした。『日本サッカーの父』と敬慕され、恩人でもあるドイツ人コーチのデットマール・クラマーさんの指導も受けている。
 
 3冠の前年、浦和南は全国高校選手権出場を逃したが、松本先生は主力になる5、6人を引き連れ兵庫・西宮球技場で決勝を観戦。「来年はお前たちがここに来て戦う番だ、というイメージを植え付けたんですよ」と、いまなら当たり前だが、当時としては先駆的な“課外指導”をしていたこともうかがった。

 
 首都圏開催に移行し、連覇を遂げた第55回全国高校選手権。東京・帝京との準決勝から国立競技場が舞台となったが、当時は高校生がプレーする機会などまずなかった。スタンドがすり鉢状になっていて、ピッチから遠近感や距離感がつかみにくい。優勝メンバーの水沼貴史さんは、「国立の大きさや雰囲気に慣れさせるため、キックオフの4時間くらい前に到着してトラックをぐるぐる隅々まで歩いて回った。先生の指示でした」と名伯楽の施術に感心する。
 
 日本代表を経験した高校チームの監督は、昔もいまもそう多くはない。松本先生が県立浦和高校を卒業した3年後、東京教育大(現筑波大)から福原黎三さんがその浦和高校に着任し、サッカー部を鍛えた。日本協会の犬飼基昭元会長や筑波大を強化した松本光弘元監督が教え子で、福原さんも竹腰監督時代の1955~56年に日本代表に名を連ねている。
 
「勝ち方だとか、相手の弱点や攻略法のヒントなんかを選手にどんどん伝えましたよ。日本代表で学んだことも役に立った。当時そんな監督はどこにもいないし、普通の高校の指導者とは一線を画していた。教える内容も全然違った。浦和市教委の時に面倒を見ていた浦和市立の選手には、日本代表のことを話して将来の目標にさせたりもしましたね」(松本先生)
 
 永井さんはジェフ市原の初代監督のほか、アルビレックス新潟や横浜FCなど複数のJリーグクラブを指揮したが、永井さんに「有能な監督とは?」と尋ねたことがある。「いろんな要素があるけど、僕は試合をたくさん観ているひとだと思う」と答えた。

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