ドイツのスポーツ文化の中で育てられ、そこで育まれたマインド
振り返ることおよそ7年前の2011年3月。エンゲルス氏は東北大震災の発生を受け、かねてから友人関係にあった大田原氏にすぐに連絡をとった。
「東北はどういう状況だ?」
大田原氏がありのままの惨状を伝えると、その数日後、エンゲルス氏は多くの物資を乗せた車を自ら運転し、岩田県の宮古市に駆けつけたと聞く。それをきっかけに、自立を目ざす子どもたちを支援する『東北げんKIDS!プロジェクト(http://mitballspass.jp/about_genkids/)』が発足。今もその活動は続いている。当時について、大田原氏が振り返る。
「今、彼は東北のどの街を歩いても、おじいさん、おばあさん、子どもたちまで幅広い年齢層の方に声を掛けられます。それこそが、彼が行なってきた活動を示す、すべてでしょう。実際、彼は東北を訪れる際にはできる限り、被災者に寄り添える距離の宿泊施設で活動を行ないたいとの考えから、できる限り僕たちと一緒に津波で空き家になった民家やパン屋さんの仮眠部屋などに寝泊まりをし、子どもたちへの支援活動や、地域のコミュニティーづくりに尽力してくださいました。それは新幹線でパッときて、パッと帰るというような単発的な活動ではありませんでした。
その行動力の背景に何があるのか。これはおそらくドイツという国に根付くスポーツ文化にあると私は考えます。かつて彼はこんな話を私にしてくれました。『僕は今、プロとしてプレーする選ばれた選手ではない。フットボールを愛する、ただのフットボールプレーヤーだ。その僕と同じフットボールプレーヤーが被災地で困っている。苦しんでいる。ならば、行くに決まっているだろう?』と。また彼はこんなことも言っています。『僕は地域のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられてアスリートになれたんだ。だから、大人になり、今の立場にある僕が地域の人たちをサポートするのは当たり前のことだ』と。
その言葉の意味を僕が知ったのは実際にドイツに足を運んだときのことです。アマチュアリーグの子どもや大人の試合には、大抵、地域のおじいちゃんやおばあちゃんやパンやビスケットを作り、会場となるクラブハウスで販売していました。そして試合が終われば、その売り上げを出場したチームの監督や選手に『今日のファイトマネーだよ。みんなのユニホーム代に使ってちょうだい』と手渡していました。そうしたドイツのスポーツ文化の中で育てられ、そこで育まれたマインドが彼を突き動かしたのでしょう。
地域に、街に育てられたアスリートがプロに上り詰める。プロになれない選手のことも地元の企業が彼らをサポートする。そういう仕組みが確立されているからドイツではどの街も少子化はあっても過疎化はないと聞きます。そうして誰もが『我が街』を愛し、大切にするから、街対街、県対県、州対州、国対国のダービーマッチがあれだけ盛り上がりを見せ、スポーツがより深く地域に根ざしていく。私が理事長を務める『特定非営利活動法人Zukunft Lokal(ツークンフトロカール http://zukunft-lokal.org)』の活動に、ゲルトさんがスーパーバイザーとして協力してくださるのも、ドイツの素晴らしいスポーツ文化を日本にも根付かせたいという思いからですが、そうしたマインドや活動も今回のノミネートに大きく反映されたのではないでしょうか。今日の会見でビジョフ氏は『この賞は有名なコーチを讃えるものではなく、社会的に素晴らしい貢献・活動をし、大きな仕事を成し遂げたひとに贈られるものだ』と話されていましたが、裏を返せば、そういった賞が設けられるのも、ある意味、ドイツのスポーツ文化の素晴らしさを物語っているのかもしれません」
「東北はどういう状況だ?」
大田原氏がありのままの惨状を伝えると、その数日後、エンゲルス氏は多くの物資を乗せた車を自ら運転し、岩田県の宮古市に駆けつけたと聞く。それをきっかけに、自立を目ざす子どもたちを支援する『東北げんKIDS!プロジェクト(http://mitballspass.jp/about_genkids/)』が発足。今もその活動は続いている。当時について、大田原氏が振り返る。
「今、彼は東北のどの街を歩いても、おじいさん、おばあさん、子どもたちまで幅広い年齢層の方に声を掛けられます。それこそが、彼が行なってきた活動を示す、すべてでしょう。実際、彼は東北を訪れる際にはできる限り、被災者に寄り添える距離の宿泊施設で活動を行ないたいとの考えから、できる限り僕たちと一緒に津波で空き家になった民家やパン屋さんの仮眠部屋などに寝泊まりをし、子どもたちへの支援活動や、地域のコミュニティーづくりに尽力してくださいました。それは新幹線でパッときて、パッと帰るというような単発的な活動ではありませんでした。
その行動力の背景に何があるのか。これはおそらくドイツという国に根付くスポーツ文化にあると私は考えます。かつて彼はこんな話を私にしてくれました。『僕は今、プロとしてプレーする選ばれた選手ではない。フットボールを愛する、ただのフットボールプレーヤーだ。その僕と同じフットボールプレーヤーが被災地で困っている。苦しんでいる。ならば、行くに決まっているだろう?』と。また彼はこんなことも言っています。『僕は地域のおじいちゃん、おばあちゃんに育てられてアスリートになれたんだ。だから、大人になり、今の立場にある僕が地域の人たちをサポートするのは当たり前のことだ』と。
その言葉の意味を僕が知ったのは実際にドイツに足を運んだときのことです。アマチュアリーグの子どもや大人の試合には、大抵、地域のおじいちゃんやおばあちゃんやパンやビスケットを作り、会場となるクラブハウスで販売していました。そして試合が終われば、その売り上げを出場したチームの監督や選手に『今日のファイトマネーだよ。みんなのユニホーム代に使ってちょうだい』と手渡していました。そうしたドイツのスポーツ文化の中で育てられ、そこで育まれたマインドが彼を突き動かしたのでしょう。
地域に、街に育てられたアスリートがプロに上り詰める。プロになれない選手のことも地元の企業が彼らをサポートする。そういう仕組みが確立されているからドイツではどの街も少子化はあっても過疎化はないと聞きます。そうして誰もが『我が街』を愛し、大切にするから、街対街、県対県、州対州、国対国のダービーマッチがあれだけ盛り上がりを見せ、スポーツがより深く地域に根ざしていく。私が理事長を務める『特定非営利活動法人Zukunft Lokal(ツークンフトロカール http://zukunft-lokal.org)』の活動に、ゲルトさんがスーパーバイザーとして協力してくださるのも、ドイツの素晴らしいスポーツ文化を日本にも根付かせたいという思いからですが、そうしたマインドや活動も今回のノミネートに大きく反映されたのではないでしょうか。今日の会見でビジョフ氏は『この賞は有名なコーチを讃えるものではなく、社会的に素晴らしい貢献・活動をし、大きな仕事を成し遂げたひとに贈られるものだ』と話されていましたが、裏を返せば、そういった賞が設けられるのも、ある意味、ドイツのスポーツ文化の素晴らしさを物語っているのかもしれません」