「やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」
退団の意思を固めた岩政に最終節のひとつ前、セレッソ大阪戦で川崎戦以来となるスタメン出場の機会がめぐってきた。山村が出場停止になったのだ。
「使ってくれるか半信半疑でしたが、スタメンだと分かった時は、鹿島での最後のプレーをしっかり見せようと思いました。この試合のあと、最終節を迎える前に退団を発表する予定でしたから」
試合前に太もも裏を軽く傷めたが、それでもフル出場して2-1の勝利に貢献する。その気迫溢れるプレーは10年間の集大成であり、意地だった。
ホームで迎えた最終節は仲間の戦いぶりをベンチから見守った。試合後、退団セレモニーが行なわれ、10年に及んだ岩政の鹿島での現役生活にピリオドが打たれた。
トニーニョ・セレーゾと腹を割って話をしたのは、退団を決めたあとだった。
「その時、やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」
それは、岩政が自分自身との戦いに勝ったことを意味していた。
――◆――◆――
新天地として選んだのは、J1でもJ2でもなく、タイだった。
海外に出て外国籍選手としてプレーする――。それはまさに、鹿島ではできない経験だった。
「最初はヨーロッパや南米で探したんですけど、30歳を超えているとなかなか難しい。そこでターゲットをアジア枠に切り替えたんです。ちょうど、タイのサッカーが盛り上がってきたところだったし、助っ人としてチームを強くするというのも魅力的だなと」
候補の中から選んだのはBECテロサーサナ、前年7位の中位チームである。
タイでは驚くことばかりだった。
クラブハウスはなく、シャワーは水しか出ない。練習場も毎日変わる。
だが、最も苦しんだのが、意識の違いだった。練習が時間どおりに始まらない。練習中にふざけ合っている。試合に負けても笑っている……。
「プロ意識がほぼないんです」
タイ人は人前で叱られることに慣れていないと聞いたが、岩政も馴れ合いでサッカーをするつもりはなかった。
「それで彼らを叱り飛ばしていたんですけど、彼らの文化も尊重しないといけないし、自分の〝当たり前〞をどこまで押し付けるべきなのか、悩みましたね」
岩政にとって幸運だったのは、チームに良き理解者がいたことだ。
チームメイトの中には岩政を煙たがる者もいたが、キャプテンのランサン・ビバチャイチョックは岩政に理解を示し、サポートしてくれた。
チームには五輪代表が何人かいた。若い彼らは野心があるから、岩政と言い合いながらも、学ぶ意欲が旺盛だった。
やがて、岩政自身の考え方にも変化が生じていく。
「使ってくれるか半信半疑でしたが、スタメンだと分かった時は、鹿島での最後のプレーをしっかり見せようと思いました。この試合のあと、最終節を迎える前に退団を発表する予定でしたから」
試合前に太もも裏を軽く傷めたが、それでもフル出場して2-1の勝利に貢献する。その気迫溢れるプレーは10年間の集大成であり、意地だった。
ホームで迎えた最終節は仲間の戦いぶりをベンチから見守った。試合後、退団セレモニーが行なわれ、10年に及んだ岩政の鹿島での現役生活にピリオドが打たれた。
トニーニョ・セレーゾと腹を割って話をしたのは、退団を決めたあとだった。
「その時、やり切った僕の姿勢をセレーゾが褒めてくれたんです」
それは、岩政が自分自身との戦いに勝ったことを意味していた。
――◆――◆――
新天地として選んだのは、J1でもJ2でもなく、タイだった。
海外に出て外国籍選手としてプレーする――。それはまさに、鹿島ではできない経験だった。
「最初はヨーロッパや南米で探したんですけど、30歳を超えているとなかなか難しい。そこでターゲットをアジア枠に切り替えたんです。ちょうど、タイのサッカーが盛り上がってきたところだったし、助っ人としてチームを強くするというのも魅力的だなと」
候補の中から選んだのはBECテロサーサナ、前年7位の中位チームである。
タイでは驚くことばかりだった。
クラブハウスはなく、シャワーは水しか出ない。練習場も毎日変わる。
だが、最も苦しんだのが、意識の違いだった。練習が時間どおりに始まらない。練習中にふざけ合っている。試合に負けても笑っている……。
「プロ意識がほぼないんです」
タイ人は人前で叱られることに慣れていないと聞いたが、岩政も馴れ合いでサッカーをするつもりはなかった。
「それで彼らを叱り飛ばしていたんですけど、彼らの文化も尊重しないといけないし、自分の〝当たり前〞をどこまで押し付けるべきなのか、悩みましたね」
岩政にとって幸運だったのは、チームに良き理解者がいたことだ。
チームメイトの中には岩政を煙たがる者もいたが、キャプテンのランサン・ビバチャイチョックは岩政に理解を示し、サポートしてくれた。
チームには五輪代表が何人かいた。若い彼らは野心があるから、岩政と言い合いながらも、学ぶ意欲が旺盛だった。
やがて、岩政自身の考え方にも変化が生じていく。