5年前に教授就任。「ソッカー部だけではなく、体育会全体を発展させたい」
19年4月に教授となり、21年夏から1年間、ルール大学ボーフム(ドイツ)スポーツ科学部の訪問研究員として、オランダに続いて大国のサッカーを学んだ。『ドイツサッカー文化論』などの共著もある。
昨年10月には現職の体育研究所所長に栄達し、18人の教員とともに教育と研究に出精している。10年から早大でフットサルを指導する非常勤講師も継続中だ。
須田は専門の実技と講義、研究に没頭する研究所の教員に対し、自分の強みを徹底的に磨き、とことん研究に打ち込んでほしいと常々伝えているそうだ。「組織って個の集団なので、個が秀逸なら組織の発展につながりますからね」と持論を述べる。
昨年10月には現職の体育研究所所長に栄達し、18人の教員とともに教育と研究に出精している。10年から早大でフットサルを指導する非常勤講師も継続中だ。
須田は専門の実技と講義、研究に没頭する研究所の教員に対し、自分の強みを徹底的に磨き、とことん研究に打ち込んでほしいと常々伝えているそうだ。「組織って個の集団なので、個が秀逸なら組織の発展につながりますからね」と持論を述べる。
今後の夢を尋ねると「ソッカー部だけではなく、体育会全体を発展させたい。今の役割、宿命、仕事、運命を目いっぱいこなし、遂行することが夢ですね。それが所長の使命だと思う」と間髪入れずに答えた。
引退してちょうど30年が経過。すっかり教員と研究者の顔になった。
(文中敬称略/表記は当時のもの)
取材・文●河野 正
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