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「俺が市議選に出る!」プロの世界で挫折を味わった“元浦和レッズ戦士”はいかにして政治家へと転身したのか。「なんでもトライしたい性分なので」【波瀾万丈物語】

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2024年12月11日

紅白戦でブッフバルトと対峙。「これが世界の名手なんだと…」

越谷市役所の前に立つ斎藤市議。波瀾万丈のキャリアを振り返ってくれた。写真:河野正

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 1993年にJリーグが華やかに幕を開けた。翌年、埼玉の無名高校から地元の人気クラブに長身MFが加入したが、1試合も出場できずに在籍2年で退団。プロ選手に見切りをつけた斎藤豪人は、複数の異業種で生計を立ててきた。そんな男が昨春の越谷市議会議員選挙で初当選し、市民の代表として市政運営に粉骨砕身する日々を送っている。

◇  ◇  ◇

 深谷市立幡羅中学3年の修学旅行で訪れた奈良・東大寺南大門を見た斎藤は、威容な建物に度肝を抜かれ、将来は建築の仕事に就くことを夢見た。指定校推薦で芝浦工業大学へ進める深谷高校に入学。評定平均で学年トップの成績だった。

 小学4年で地元の幡羅サッカースポーツ少年団に入り、一貫して攻撃的MFを担当。背番号10を付けた高校2、3年生では点が欲しい時にFWを任される攻めの大黒柱だ。在学中の県大会出場はインターハイ予選の1度だけだが、3年生になると県の高校選抜に入ったばかりか、Jリーグクラブの目にも留まった。

 浦和レッズの落合弘ヘッドコーチが、5月にあった公式戦をたまたま観戦。好人材がいることをクラブのスカウトに伝えると、夏休みに1週間ほどサテライトチーム(2軍)の練習に参加することになり、10月には正式に獲得の申し出があった。

 建築家への道をあれだけ熱望していたのに、あっさり諦めたのか?

「諦めたというより、プロサッカー選手になれるチャンスなどもう二度とないので挑戦したい気持ちが先行したんです。母は大学に進んでほしいと反対しましたが、東芝野球部でプロ選手を目ざしていた父は、一生に一度のことだからやってみなさいと背中を押してくれました」

 Jリーグ創設2年目の94年、晴れて浦和の一員となったが、プロの世界は想像以上に厳しいもので、スポットライトを浴びるトップチームに昇格するための糸口はなかなか見いだせなかった。「スターの福田(正博)さんはレベルがケタ外れに違い、同期は大卒も高卒も移籍選手も巧いし、速いし、強かった」と回想する。

 この年は、90年ワールドカップ(W杯)イタリア大会を制した西ドイツ代表のMFウーベ・バイン、DFギド・ブッフバルトが揃って夏に加入。浅野哲也らもシーズン途中から加わるなど、クラブ史上最多の延べ55人が在籍する大所帯となったのだから、高卒の新人が試合に絡むのは容易ではなかった。
 
 結局1年目はトップチームの練習にすら合流できず、出場はサテライトリーグにとどまった。斎藤は「トップの試合に出るための壁は相当高いと感じた。こんな邪心があってはいけないのですが、トップの選手が怪我でもしないかな、なんて思ったりしたものです」と苦笑する。

 ただ努力は忘れなかった。テレビでW杯米国大会を見ながら、こういう大舞台に立てるように頑張らないといけない、と自分に言い聞かせたそうだ。オフの日でも同期の岡島清延(中央大卒)と汗を流し、岡島が上げるクロスにヘッドやボレーで合わせる練習を重ねた。

「自主トレがすごく楽しくて、休みの日も遊びに行きたいとは思わなかった。合同練習は決まったメニューだけど、自主練習は弱点の修正など自由にやれるじゃないですか」

 正念場の2年目はトップの選手ではなく、自分が怪我に泣かされてしまう。シーズン当初から左膝半月板に“関節ねずみ”の症状が出た。2~3週間練習しては1週間休むという生活サイクル。医師は手術を勧めず、当人も痛みはいつか消えるものと思ったが...。

 症状が和らいだ秋口、初めてトップチームの練習に参加し、攻撃的なMFとして紅白戦に出場。ブッフバルトの近くまで軽快なドリブルで運び、ゴールに迫った瞬間だ。後ろから長い脚が伸びてきて簡単に球を奪われた。「これが世界の名手なんだと驚きました」。あらためて試合に出ることの難しさも痛感したという。

 師走に入り、クラブから契約満了を告げられた。覚悟はしていたが、現実になるとショックだった。

 浦和での忘れ得ぬ出来事を尋ねると、意外な答えが返ってきた。「故障明けの曺貴裁さんと練習したことです。すごく怖い印象があったけど気さくに声を掛けてくれた。20メートル離れてサイドボレーで球をこするように蹴り返す練習が楽しかった。練習に打ち込む過程で“こうすればいいのか”って何かを発見した時に喜びを感じた。2年間で一番の思い出です」と感慨深そうに話した。

 膝の状態が良くなった時期もあり、最後の挑戦と思って加入テストに参加。コンサドーレ札幌になる直前の東芝サッカー部の選考会が96年1月に川崎市であり、1週間に渡る練習会を経て内定をもらった。だが条件面で折り合いがつかず、プロ選手への道を完全に断ち切った。
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