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「卒業後は一流企業に入るものと…」J創成期の“元浦和レッズ戦士”が慶大教授へと転身を遂げるまで。教え子・武藤とのミラクルな秘話も

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2024年12月16日

「今でも後悔が尽きない」32年前の痛恨ミスに想いを馳せる

現在は慶応大で教授を務める須田氏。UEFA指導者ライセンスを持つ。写真:河野正

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 東京ガス、浦和レッズ、甲府クラブと異なるカテゴリーに身を置いたFW須田芳正は、アマチュアからプロへ変遷する日本サッカーの激変ぶりを目の当たりにした。引退後はフットサルの日本代表やコーチを経て、母校の慶応大ソッカー部で通算10年監督を務めた。現在は慶応大教授、体育研究所所長として教育と研究、スポーツ振興に精を出す毎日だ。

◇   ◇   ◇

 小学1年からサッカーを始め、引退するまでずっとFWだった。

 小学校から高校まで暁星学園に通い、2度出場した全国中学校大会では上位に進めなかったが、高校1年のインターハイで4強入りし、全国高校選手権はベスト16。翌年の全国高校選手権は2回戦で敗れ、最終学年は東京予選で本郷に屈した。

 慶大か早大への進学を希望し、指定校推薦のある慶大に進んだ。体育会ソッカー部では1年から試合に絡んだが、「慶応にはスポーツ推薦がなく、スター選手は集まらないのでタイトル争いとは無縁でした。入学した年は東京都大学リーグに降格していましたからね」と回想する。それでも1年で関東大学リーグ2部に復帰し、無冠とはいえ3、4年生の時は強豪揃いの1部で戦った。

 かつての慶大は大勢の選手が日本サッカーリーグ(JSL)でプレーし、日本代表も続々と輩出。だがもうそんな時代ではなかった。「先輩を見ていても卒業後は一流企業に入るものと思ったし、みんなサッカーで飯を食おうなんて発想はありませんでした」と苦笑するが、須田だけは違った。優良企業へ入り、大好きなサッカーを続けながら社業に励むことを望んだ。

 渡りに船。慶大の先輩で、東京ガスの監督だった渡辺公義に声を掛けられ、1990年に社員として入社。現在、FC東京会長の大金直樹や京都サンガの大熊清ゼネラルマネジャーらとプレーし、1年目からレギュラーとなって関東リーグと全国地域リーグ決勝大会を制した。翌年JSL2部に昇格すると、16チーム中7位と大健闘。須田はリーグ戦26試合に出場し、第3節のNTT関東戦で初得点を挙げた。

 90~91年というのは、日本サッカー協会のプロリーグ検討委員会が、競技場の規模や地元との密着度などプロリーグ参加条件をまとめ、内定チームを絞り込んで開幕へ向けて準備を進めていた時期だ。
 
 プロで腕を試したくなった須田は、慶大時代の監督で浦和の事業・広報部長だった藤口光紀に相談。チーム練習に参加すると首尾よく合格し、ナビスコカップ開幕1か月前の92年8月に浦和の一員となった。加入直後の故障で、この年のナビスコカップと天皇杯には出場できなかった。

 翌年、10チームによるJリーグが華やかに幕を開けたが、なかなかお鉢が回ってこない。「トップチームのレベルは高いと感じたが、出番がないとは思わなかった。最初は成功した92年のメンバーで戦っていたけど、連戦連敗で怪我人も続出したので、かならずその時が来ると信じていた」と31年前を思い起こした。

 93年6月19日、前期第11節のガンバ大阪戦の後半23分に“その時”が訪れる。「いよいよ来たなって胸が高ぶったけど、決定的なシュートを外しちゃったんですよ。自信を持って蹴れば良かった。あそこで1本決めていれば、続けてベンチ入りできたはずなので今でも後悔が尽きない」と試合直後のような顔付きで残念がり、「でもあの高揚感はまだ覚えている。終わってからもしばらく興奮していました」と言葉をつないだ。

 その後は12試合ピッチに立てず、後期6節の横浜フリューゲルス戦、8節の鹿島アントラーズ戦にいずれも途中出場し、ヴェルディ川崎との9節で念願の初先発。ところが6失点で惨敗したうえ、ラモス瑠偉とビスマルクのふたりに頭と足で空中のボールを7度もつながれて失点、という赤っ恥をかいてしまった。

「ヴェルディには暁星の先輩、加藤善之さんも先発していたので、やってやるぞって気合を入れたのですが、実力の違いを痛感しましたね。カズ(三浦知良)やラモスさんの名前にも気後れしたのかなあ」

 この試合を最後にベンチ入りはなく、93年で契約満了となった。

 だが、もう少し現役でいたかった。いずれもジャパン・フットボールリーグの甲府クラブ、京都パープルサンガ、中央防犯FCの加入テストを経て甲府とプロ契約。1年間プレーし、リーグ戦25試合1得点という戦績を残してスパイクを脱いだ。

 Jリーガーとしての活動は1年半と短かったが、「マイナーだったサッカーの環境が一変し、スタジアムはいつも満員で練習にも大勢のファンが来てくれた。プロになったんだ、俺はプロの世界で生きているんだと感じる日常が、非日常のような感覚だった。悔しい思いもたくさんありましたが、あの時間はとても幸せでした」と当時の思いを噛み締めながら、しみじみ語った。
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