【K~O】サッカー以外にも欧州屈指のスポーツチームが。

1950年にR・マドリーとの争奪戦を制して獲得したクバラ(右)。司令塔スアレス(左)という相棒にも恵まれ、在籍11年でクラブ史上3位の194ゴール(256試合)を挙げた。(C)Getty Images
K
KUBALA(クバラ)
ラディスラオ・クバラは、公式戦通算で194ゴール(クラブ歴代3位)を記録したハンガリー出身の伝説的FW。母国とチェコスロバキアでプレー後、1950年に西側に亡命し、バルサに入団した。リーガを4回、コパ・デル・レイを5回、フェアーズカップ(UEFAカップの前身)を2回制覇する黄金時代を築き上げ、アイドル的な人気を誇った。そのプレーを一目見ようとラス・コルツ(当時の本拠地)にキャパ以上のファンが殺到し、新たにカンプ・ノウが建設された(57年開場)という逸話も。引退後はバルサ(61~63年は選手兼任、80~82年は監督専任)やスペイン代表(69~80年、92年)で指揮を執り、96~99年までバルサのフロントも務めた。02年5月17日、バルセロナ市内の病院で息を引き取った。享年74歳。
L
LA MASIA(ラ・マシア)
カタルーニャ語で『古い民家』の意。1954年、バルサがカンプ・ノウ建設予定地に隣接していたラ・マシア(当時は一般住宅)を購入して改築し、当初は作業場、66年からクラブ本部、79年からカンテラ選手寮として使用した。昨今はバルサ・カンテラそのものを指す言葉としても定着していたが、11年6月30日を最後に、選手寮は総合練習場「シウタ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール」内の「オリオル・トルト育成センター」に移設され、32年の歴史に終止符が打たれた。
M
MINI(ミニ)
カンプ・ノウ脇の道路を挟んで隣接する『MINI ESTADI(ミニ・エスタディ)』の略称で、セカンドチームであるバルサBのホームグラウンド。バルサBの選手たちは、カンプ・ノウとミニを結ぶ橋を渡ること(つまりトップチーム昇格)を夢見て研鑽を積んでいる。リオネル・メッシもアンドレス・イニエスタもブスケッツも、このミニからカンプ・ノウへと旅立っていったのだ。収容人数は15,276人とそれなりで、大きなスタジアムを持たない隣国アンドラの代表チームが、ワールドカップ予選など公式戦で使用することも。2017年からスタート見込みのカンプ・ノウ改修計画によって、ミニ・エスタディは『シウタ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール』に移転される予定。
N
NIKE(ナイキ)
言わずと知れた世界屈指のスポーツブランド。1998年からバルサのオフィシャルサプライヤーを務め、現在はピケ、ブスケッツ、イニエスタ、ハビエル・マスチェラーノ、そしてネイマールなど多数の在籍選手とも個人契約を結んでいる。ちなみに、2010~2014年までバルサの会長を務めたサンドロ・ロセイは、ナイキ社でスペイン&ポルトガルと南米の地域統括責任者を務めた敏腕ビジネスマンだった。
O
OTHER SPORTS(アザー・スポーツ)
FC(フットボールクラブ)の名を持つバルサだが、実際は総合スポーツクラブ。5つのプロ部門(男女サッカー、フットサル、バスケットボール、ハンドボール、ローラーホッケー)、8つのアマチュア部門(陸上競技、アイスホッケー、フィールドホッケー、フィギュアスケート、ラグビー、男女バレーボール、車椅子バスケットボール、女子バスケットボール)、さらにはチアリーディングチームまで擁している。バスケットボールやハンドボールは欧州屈指の強豪チームで、試合会場には大勢のファンが詰めかける。一方で実力も人気もなかった体操、水泳、柔道などが過去に廃止され、野球も2011年6月に解散された。
KUBALA(クバラ)
ラディスラオ・クバラは、公式戦通算で194ゴール(クラブ歴代3位)を記録したハンガリー出身の伝説的FW。母国とチェコスロバキアでプレー後、1950年に西側に亡命し、バルサに入団した。リーガを4回、コパ・デル・レイを5回、フェアーズカップ(UEFAカップの前身)を2回制覇する黄金時代を築き上げ、アイドル的な人気を誇った。そのプレーを一目見ようとラス・コルツ(当時の本拠地)にキャパ以上のファンが殺到し、新たにカンプ・ノウが建設された(57年開場)という逸話も。引退後はバルサ(61~63年は選手兼任、80~82年は監督専任)やスペイン代表(69~80年、92年)で指揮を執り、96~99年までバルサのフロントも務めた。02年5月17日、バルセロナ市内の病院で息を引き取った。享年74歳。
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LA MASIA(ラ・マシア)
カタルーニャ語で『古い民家』の意。1954年、バルサがカンプ・ノウ建設予定地に隣接していたラ・マシア(当時は一般住宅)を購入して改築し、当初は作業場、66年からクラブ本部、79年からカンテラ選手寮として使用した。昨今はバルサ・カンテラそのものを指す言葉としても定着していたが、11年6月30日を最後に、選手寮は総合練習場「シウタ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール」内の「オリオル・トルト育成センター」に移設され、32年の歴史に終止符が打たれた。
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MINI(ミニ)
カンプ・ノウ脇の道路を挟んで隣接する『MINI ESTADI(ミニ・エスタディ)』の略称で、セカンドチームであるバルサBのホームグラウンド。バルサBの選手たちは、カンプ・ノウとミニを結ぶ橋を渡ること(つまりトップチーム昇格)を夢見て研鑽を積んでいる。リオネル・メッシもアンドレス・イニエスタもブスケッツも、このミニからカンプ・ノウへと旅立っていったのだ。収容人数は15,276人とそれなりで、大きなスタジアムを持たない隣国アンドラの代表チームが、ワールドカップ予選など公式戦で使用することも。2017年からスタート見込みのカンプ・ノウ改修計画によって、ミニ・エスタディは『シウタ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール』に移転される予定。
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NIKE(ナイキ)
言わずと知れた世界屈指のスポーツブランド。1998年からバルサのオフィシャルサプライヤーを務め、現在はピケ、ブスケッツ、イニエスタ、ハビエル・マスチェラーノ、そしてネイマールなど多数の在籍選手とも個人契約を結んでいる。ちなみに、2010~2014年までバルサの会長を務めたサンドロ・ロセイは、ナイキ社でスペイン&ポルトガルと南米の地域統括責任者を務めた敏腕ビジネスマンだった。
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OTHER SPORTS(アザー・スポーツ)
FC(フットボールクラブ)の名を持つバルサだが、実際は総合スポーツクラブ。5つのプロ部門(男女サッカー、フットサル、バスケットボール、ハンドボール、ローラーホッケー)、8つのアマチュア部門(陸上競技、アイスホッケー、フィールドホッケー、フィギュアスケート、ラグビー、男女バレーボール、車椅子バスケットボール、女子バスケットボール)、さらにはチアリーディングチームまで擁している。バスケットボールやハンドボールは欧州屈指の強豪チームで、試合会場には大勢のファンが詰めかける。一方で実力も人気もなかった体操、水泳、柔道などが過去に廃止され、野球も2011年6月に解散された。