批判から賞賛、皮肉までミラニスタの反応は様々だ。

鬼軍曹タイプのミハイロビッチ監督は、自身に歯向かう選手は切り捨ても容赦しないタイプ。すでに今年1月の放出を予想するイタリア・メディアもあるが、はたして本田の運命は…。(C)Alberto LINGRIA
しかし、である。もう少し彼の心が伝わりやすいようなコメントにできなかったのだろうか。サムライが刀で切りつけるように一刀両断するのではなく、もう少しソフトな表現にするか、言いたいことを示唆するなど、少し配慮が必要だったと私は思う。
本田はおそらくミランを想い、ミランをよくしたいからこそ、あえて刺激的な発言を発したのではないか。決してチームやクラブを中傷するのが目的ではなく、注意を喚起し、チームを揺り動かしたかったのだろう。
とはいえ、あまりにストレートな物言いだったため、刺激的な部分だけがいわば独り歩きし、スケープゴートになってしまったように思えるのだ。
さて最後に、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙の私の記事に寄せられた、サポーターの声を紹介したい。一部のミラニスタは、非常に強い調子で反発している。
「ミランから出て行け!」
「もしミランが本当に1億ユーロ(約140億円)を有効に使っていたら、お前の居場所などなくなっていた」
「1月には出て行くな…」
しかし一方で、同じくらいの数のミラニスタは、自分の危険も顧みない彼の発言を高く評価している。
「ついにその背番号にふさわしい発言をした」
「俺はずっと前から選手の誰かが、こうやってはっきりと物申してくれることを待っていた」
「まさに正論。勇気ある発言に感謝する」
また、皮肉なコメントもいくつか寄せられた。
「お見事! プレーはまずいが、発言は素晴らしい。ぜひガッリアーニのポスト(強化責任者)に!」
「本田ハラキリ。彼をもうセリエAのピッチで見ることはないな……」
ちなみに、直近2試合のセリエAで本田は、ベンチを温めた。今回の発言は、シニシャ・ミハイロビッチ監督の自身に対するその扱いも、一因だったのだろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
協力・翻訳:利根川晶子
[著者プロフィール]
Marco PASOTTO / Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
本田はおそらくミランを想い、ミランをよくしたいからこそ、あえて刺激的な発言を発したのではないか。決してチームやクラブを中傷するのが目的ではなく、注意を喚起し、チームを揺り動かしたかったのだろう。
とはいえ、あまりにストレートな物言いだったため、刺激的な部分だけがいわば独り歩きし、スケープゴートになってしまったように思えるのだ。
さて最後に、ガゼッタ・デッロ・スポルト紙の私の記事に寄せられた、サポーターの声を紹介したい。一部のミラニスタは、非常に強い調子で反発している。
「ミランから出て行け!」
「もしミランが本当に1億ユーロ(約140億円)を有効に使っていたら、お前の居場所などなくなっていた」
「1月には出て行くな…」
しかし一方で、同じくらいの数のミラニスタは、自分の危険も顧みない彼の発言を高く評価している。
「ついにその背番号にふさわしい発言をした」
「俺はずっと前から選手の誰かが、こうやってはっきりと物申してくれることを待っていた」
「まさに正論。勇気ある発言に感謝する」
また、皮肉なコメントもいくつか寄せられた。
「お見事! プレーはまずいが、発言は素晴らしい。ぜひガッリアーニのポスト(強化責任者)に!」
「本田ハラキリ。彼をもうセリエAのピッチで見ることはないな……」
ちなみに、直近2試合のセリエAで本田は、ベンチを温めた。今回の発言は、シニシャ・ミハイロビッチ監督の自身に対するその扱いも、一因だったのだろう。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
協力・翻訳:利根川晶子
[著者プロフィール]
Marco PASOTTO / Gazzetta dello Sport
マルコ・パソット
1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。