「今、どこかのクラブで強化部長を30歳前半でさせてもらえるかどうか」
小澤COOが「大分のユースが広島に20何対ゼロで負けたのは2000年だった?」と話題を振った。立石CEOは「そう。それでユースを立て直した」と答えた。
「当時、GM研修というのがあって、僕はその第一期生としてアヤックスのレポートを提出したんです。その一環でフィテッセのGMと会って、『もしクラブが倒産しそうになったらどうしますか? 育成を無くして、トップチームだけを何とか残すとか』と訊いたら、『考える余地はない。トップチームを潰す。育成を残しておけば3年後に彼らが上がってきて、チームをもう一度作ることができる』と。オランダ人らしいなと。その時の言葉がすごく染み込んでいる。だからさっき、冗談で『大分も潰れそうになったらユースだけでも残せ』って言っていた」
FC東京では一流の指導者を招聘し、予算もあった。しかし、大分ユースの強化は「皇甫官さん、柳田伸明さん、そして僕の3人でグルグル回していた」という。幸い、選手の素材は良く、「プラスして、ハートが良かった」と立石CEOは振り返る。
「多々良学園(当時。現高川学園)出身の高松大樹がそう。彼は僕が初めて契約した選手だった。長崎県出身の梅崎司はハングリーだった」
アカデミー出身の西川周作、梅崎、清武、東慶悟、高卒の高松、金崎夢生、森重真人などがチームの主軸を担い、「育成の大分」として名が知れ渡った。
2008年、大分はナビスコカップで優勝し、J1で4位という好成績を残した。立石CEO本人は「大分でやり尽くした」という思いで、その前年クラブを去って、優勝時にはヴェローナにいた。
「シャムスカ監督を招聘したのが、僕の大分での最後の仕事でした。大分の黄金期ですよね」
大分で過ごした9年間、日韓ワールドカップの前には組織委員会、溝畑社長とカメルーンを中津江村(現日田市)キャンプに誘致するためヨーロッパを周ったという。また、当時の大分県知事は一村一品運動で有名な平松守彦氏だった。
「ああいう人たちと若い時に知り合えたのは良かった。サッカーを勉強したい自分がいて、政治や経済も学ばないといけない自分もいた。その狭間に苦しんでいた時期でした」
「当時、GM研修というのがあって、僕はその第一期生としてアヤックスのレポートを提出したんです。その一環でフィテッセのGMと会って、『もしクラブが倒産しそうになったらどうしますか? 育成を無くして、トップチームだけを何とか残すとか』と訊いたら、『考える余地はない。トップチームを潰す。育成を残しておけば3年後に彼らが上がってきて、チームをもう一度作ることができる』と。オランダ人らしいなと。その時の言葉がすごく染み込んでいる。だからさっき、冗談で『大分も潰れそうになったらユースだけでも残せ』って言っていた」
FC東京では一流の指導者を招聘し、予算もあった。しかし、大分ユースの強化は「皇甫官さん、柳田伸明さん、そして僕の3人でグルグル回していた」という。幸い、選手の素材は良く、「プラスして、ハートが良かった」と立石CEOは振り返る。
「多々良学園(当時。現高川学園)出身の高松大樹がそう。彼は僕が初めて契約した選手だった。長崎県出身の梅崎司はハングリーだった」
アカデミー出身の西川周作、梅崎、清武、東慶悟、高卒の高松、金崎夢生、森重真人などがチームの主軸を担い、「育成の大分」として名が知れ渡った。
2008年、大分はナビスコカップで優勝し、J1で4位という好成績を残した。立石CEO本人は「大分でやり尽くした」という思いで、その前年クラブを去って、優勝時にはヴェローナにいた。
「シャムスカ監督を招聘したのが、僕の大分での最後の仕事でした。大分の黄金期ですよね」
大分で過ごした9年間、日韓ワールドカップの前には組織委員会、溝畑社長とカメルーンを中津江村(現日田市)キャンプに誘致するためヨーロッパを周ったという。また、当時の大分県知事は一村一品運動で有名な平松守彦氏だった。
「ああいう人たちと若い時に知り合えたのは良かった。サッカーを勉強したい自分がいて、政治や経済も学ばないといけない自分もいた。その狭間に苦しんでいた時期でした」
そして、引退直後、大雨の中でライン引きをし、領収証作成でカンマを付けることを知らなかった時期のことを、改めてこう振り返る。
「僕の仕事もハチャメチャでした。覚えることばかりで、1で済むことが2かかってしまうわけで、時間もかかってしまう。だけど、慣れると早くなって、資料作りの精度も上がって時間も短縮されていく。今、考えたら、もっと効率の良い手はあったけれど、当時の大分にはたくさんミスをさせてもらえた環境がありました。そもそも、今、どこかのクラブで強化部長を30歳前半でさせてもらえるかどうか。仮にやらせてもらえても1年2年ダメだったらクビじゃないですか。でも、当時の大分は3年間J1に上がれなかったんですからね」
北九州市出身、国見高校、大分トリニータOB、アビスパ福岡顧問の立石CEOは、九州勢に向かってこうエールを送る。
「これは福岡の人も言うんだけれど、カップが開門海峡を渡ったのは大分トリニータがナビスコを獲った1度だけ。鳥栖も福岡もカップをまだとってない。それは大分にとってはすごいこと。一方で、それじゃダメなんだけれどね。頑張れ九州!」
取材・文●中田 徹
【PHOTO】「シントトロイデンガールズ」発表記者会見で司会を務めた鷲見玲奈アナを特集!
【画像】日本代表が新ユニホームを発表! 久保、南野、岩渕など選手着用ショット!
「僕の仕事もハチャメチャでした。覚えることばかりで、1で済むことが2かかってしまうわけで、時間もかかってしまう。だけど、慣れると早くなって、資料作りの精度も上がって時間も短縮されていく。今、考えたら、もっと効率の良い手はあったけれど、当時の大分にはたくさんミスをさせてもらえた環境がありました。そもそも、今、どこかのクラブで強化部長を30歳前半でさせてもらえるかどうか。仮にやらせてもらえても1年2年ダメだったらクビじゃないですか。でも、当時の大分は3年間J1に上がれなかったんですからね」
北九州市出身、国見高校、大分トリニータOB、アビスパ福岡顧問の立石CEOは、九州勢に向かってこうエールを送る。
「これは福岡の人も言うんだけれど、カップが開門海峡を渡ったのは大分トリニータがナビスコを獲った1度だけ。鳥栖も福岡もカップをまだとってない。それは大分にとってはすごいこと。一方で、それじゃダメなんだけれどね。頑張れ九州!」
取材・文●中田 徹
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