S・ラモスを見ていると松田直樹を思い出す
もちろんカゼミーロの仕事ぶりの背景には、補完性の高い守備ができるクロースの存在が大きい。
彼も危ないポイントを押さえる能力は非常に高い。決して人に対してハードに当たるわけじゃないけど、パスコースは厳しく消している。日本の選手と違うのは守備時に寄せた後、クロースは攻撃の選手と入れ替わらない距離で止まるんだけど、相手がボールの持ち方を変えたときには「必ずゼロ距離まで寄せ切ることができる」ところ。
それが寄せる必要がある選手なのか、寄せる必要があるシチュエーションなのか、逆に寄せたら剥がされてしまうのかを的確に判断できる。メッシみたいな選手なら剥がされてしまうから行かない、この選手ならパスコースを消したほうが正しいと思えば、それを選択する。
彼らの守り方を分析していると、日本のパサーやゲームメイカーと呼ばれるボランチの選手たちも、守備時における最低限の責任の背負い方を考え直さなきゃいけない。クロースがガチガチにぶつかりに行ったら身体を壊してしまうだろうし、自分のスタイルじゃないけど、高い次元で相手にとって厳しい守備を行なっている。
彼も危ないポイントを押さえる能力は非常に高い。決して人に対してハードに当たるわけじゃないけど、パスコースは厳しく消している。日本の選手と違うのは守備時に寄せた後、クロースは攻撃の選手と入れ替わらない距離で止まるんだけど、相手がボールの持ち方を変えたときには「必ずゼロ距離まで寄せ切ることができる」ところ。
それが寄せる必要がある選手なのか、寄せる必要があるシチュエーションなのか、逆に寄せたら剥がされてしまうのかを的確に判断できる。メッシみたいな選手なら剥がされてしまうから行かない、この選手ならパスコースを消したほうが正しいと思えば、それを選択する。
彼らの守り方を分析していると、日本のパサーやゲームメイカーと呼ばれるボランチの選手たちも、守備時における最低限の責任の背負い方を考え直さなきゃいけない。クロースがガチガチにぶつかりに行ったら身体を壊してしまうだろうし、自分のスタイルじゃないけど、高い次元で相手にとって厳しい守備を行なっている。
今回のクラシコでも、カゼミーロとの補完性が攻守において非常に高かった。
攻撃においても、彼らはドリブルで剥がすことはできないけど、途中からモドリッチが入ってきて、その補完性の精度はレベルが高かった。当然、年齢という部分でクロースやモドリッチの場所にウーデゴーやバルベルデが入ったりして新しいバランスを見つける時期が来ていて、マドリーは模索している。
そういう意味でいうとセルヒオ・ラモスの後釜はクリスチアーノ・ロナウドと同等の大変さがある。本人は攻撃的なサイドバックとしてキャリアを進みたかったところを、モウリーニョが「このまま右サイドをやっていても君は世界有数の選手になれるけど、センターバックなら世界のトップになれる」と口説いたことは有名な話。モウリーニョの先見性はすごい。
結果、セルヒオ・ラモスは世界のトップ・トップにいる。タフな守備と言動でいろいろと賛否を巻き起こす選手ではあるけど、好き嫌いがあって当然のポジションだし、でもあれだけのキャラがあるからリーダーシップを持ってマドリーというチームを統率できるんだと思う。
僕は勝手に「松田直樹」を思い出す。憎まれたり愛されたり…、そして攻撃の能力も高い。その系譜でいうと闘莉王も似た感じだね。
日本も若手の冨安健洋が出てきた。彼がどんなタイプかは詳しく知らないけどね。小さい頃から純粋にセンターバックをやっていたタイプではなく、「もともとはフォワード、サイドバックでごりごりと前に無鉄砲に仕掛けていたタイプだった」みたいな多種多様なタイプのセンターバックがいてもいいのかなと。
真面目なセンターバックを否定するつもりもないけど、リーダーシップというか、「めちゃくちゃ愛されているけど、めちゃくちゃ憎まれている」みたいな選手を育成するのも、いいのかなって強く思う。今後の日本サッカーの発展を考えるとね。
言い方はよくないけど、ヴァランヌは補えてもセルヒオ・ラモスは補えない。大変だと思う。スペイン代表だって大変、マドリーも世界中を見渡してもなかなか見つからないから大変だよ。日本だと、私たち指導者がああいうタイプの選手をどう扱うかは課題としてある。そういう選手の良さを最大限に生かしながらも、センターバックとしてのおもしろさや我慢の部分を納得させて伝えていけるか。
それは指導力、トーク力の部分でコミュニケーションをとりながら個性を最大限に伸ばし、自ら学び育っていくんだろうなとセルヒオ・ラモスを見てて強く感じている。
攻撃においても、彼らはドリブルで剥がすことはできないけど、途中からモドリッチが入ってきて、その補完性の精度はレベルが高かった。当然、年齢という部分でクロースやモドリッチの場所にウーデゴーやバルベルデが入ったりして新しいバランスを見つける時期が来ていて、マドリーは模索している。
そういう意味でいうとセルヒオ・ラモスの後釜はクリスチアーノ・ロナウドと同等の大変さがある。本人は攻撃的なサイドバックとしてキャリアを進みたかったところを、モウリーニョが「このまま右サイドをやっていても君は世界有数の選手になれるけど、センターバックなら世界のトップになれる」と口説いたことは有名な話。モウリーニョの先見性はすごい。
結果、セルヒオ・ラモスは世界のトップ・トップにいる。タフな守備と言動でいろいろと賛否を巻き起こす選手ではあるけど、好き嫌いがあって当然のポジションだし、でもあれだけのキャラがあるからリーダーシップを持ってマドリーというチームを統率できるんだと思う。
僕は勝手に「松田直樹」を思い出す。憎まれたり愛されたり…、そして攻撃の能力も高い。その系譜でいうと闘莉王も似た感じだね。
日本も若手の冨安健洋が出てきた。彼がどんなタイプかは詳しく知らないけどね。小さい頃から純粋にセンターバックをやっていたタイプではなく、「もともとはフォワード、サイドバックでごりごりと前に無鉄砲に仕掛けていたタイプだった」みたいな多種多様なタイプのセンターバックがいてもいいのかなと。
真面目なセンターバックを否定するつもりもないけど、リーダーシップというか、「めちゃくちゃ愛されているけど、めちゃくちゃ憎まれている」みたいな選手を育成するのも、いいのかなって強く思う。今後の日本サッカーの発展を考えるとね。
言い方はよくないけど、ヴァランヌは補えてもセルヒオ・ラモスは補えない。大変だと思う。スペイン代表だって大変、マドリーも世界中を見渡してもなかなか見つからないから大変だよ。日本だと、私たち指導者がああいうタイプの選手をどう扱うかは課題としてある。そういう選手の良さを最大限に生かしながらも、センターバックとしてのおもしろさや我慢の部分を納得させて伝えていけるか。
それは指導力、トーク力の部分でコミュニケーションをとりながら個性を最大限に伸ばし、自ら学び育っていくんだろうなとセルヒオ・ラモスを見てて強く感じている。