名古屋が新井に守備陣強化の白羽の矢を立てたのは必然?
「CBとして長く続けるためというか、もう少し成長するためにはマリノスが一番いいのかなと。良いCBの人を見て、盗んで自分のものにしたいなという思いがあって、それが一番の決め手でした」
順天堂大4年の時、進路に横浜を選んだ理由を新井はこう口にしていた。もともと本人は“試合に出られる”ことを進路選びにおける最優先事項としていたのだが、あえて厳しい環境に身をおくことを選んだ。しかし、本人もある程度予想していた通りというべきか、ポジションを掴めず苦しい時期が続いた。そんな中、“風間サッカー”元年を迎えた名古屋が、守備陣の戦力で不安を抱えていた夏に新井へ声をかけ、期限付きで獲得する。
実は新井は清水商高時代、風間監督の次男である風間宏矢と同級生で、当時から息子を通じて指揮官の特異なサッカー観にも触れていた。また、大学時代には同級生の長谷川竜也(川崎)と共に川崎へ練習参加をしていたこともあり、名古屋が志向し始めたサッカーへの理解度は高かった。ゆえに彼に白羽の矢が立つのは必然だった。
順天堂大4年の時、進路に横浜を選んだ理由を新井はこう口にしていた。もともと本人は“試合に出られる”ことを進路選びにおける最優先事項としていたのだが、あえて厳しい環境に身をおくことを選んだ。しかし、本人もある程度予想していた通りというべきか、ポジションを掴めず苦しい時期が続いた。そんな中、“風間サッカー”元年を迎えた名古屋が、守備陣の戦力で不安を抱えていた夏に新井へ声をかけ、期限付きで獲得する。
実は新井は清水商高時代、風間監督の次男である風間宏矢と同級生で、当時から息子を通じて指揮官の特異なサッカー観にも触れていた。また、大学時代には同級生の長谷川竜也(川崎)と共に川崎へ練習参加をしていたこともあり、名古屋が志向し始めたサッカーへの理解度は高かった。ゆえに彼に白羽の矢が立つのは必然だった。
その後、即戦力としてとして先発出場を重ね、J初ゴールも記録した。しかし、6試合目の大分戦で、前述した通り全治6~8か月という重傷を負ってしまう。もちろんそれ以降は出場できず、チームの昇格も味わえなかった。
だが、短い中でも存在感を発揮し能力の高さを印象づけたことでサポーターからの完全移籍を待望する声は高まり、クラブも獲得交渉へ動く。そして、新井は名古屋で第二のプロ人生を送る決断をした。
だが、短い中でも存在感を発揮し能力の高さを印象づけたことでサポーターからの完全移籍を待望する声は高まり、クラブも獲得交渉へ動く。そして、新井は名古屋で第二のプロ人生を送る決断をした。