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日本国籍放棄→香港代表でもプレーした“流転のサムライ”が歩んだ波瀾万丈なサッカー人生。「チーム数は鈴木隆行さんくらい多い」

カテゴリ:海外日本人

河野 正

2024年01月30日

「岡野さんの言葉が現実になっちゃったんです」

指導者のキャリアがスタート。学生たちと向き合う日々を送る。写真:河野正

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 ポルティモネンセから契約更新を打診されたが、ペガサスの熱心な要請に応え1年で古巣に復帰。ところが4か月で契約を打ち切られ、師走に帰国し埼玉県戸田市のフットサル場で働いた。引退もちらつき始めた折、香港の公民からオファーがあり11年7月に加入する。ここから移籍を繰り返し、「チーム数は鈴木隆行さんくらい多いんじゃないですか」と笑った。

 公民に3シーズン在籍した後、香港随一の名門・南華に移り、黄大仙への期限付き移籍を経て大埔で2年間プレー。大埔ではカップ戦を制して自身初タイトルを獲得する。

「現役時代の忘れられない思い出の2番目がこの優勝です。今まで積み上げてきたものがようやく結果に表れ、決勝もよく動けた。妻がいろんな角度から身体のケアをしてくれたこともありがたかったですね」

 中村は萌加さんがワーキングホリデーの一環として、香港のレストランで働いていた時に知り合い、14年に結婚した。

 18年夏に香港プレミアリーグで6度の最多優勝を誇る傑志に移籍。中村が加入する数か月前まで、元ウルグアイ代表FWディエゴ・フォルランがいた。ここではカップ戦で2冠を獲得した。
 
 キャリアの中で最も至福な出来事が、この年の秋に訪れた。10月12日に中国の国籍を取得すると、インドネシアとの国際親善試合に出場する香港代表に選出されたのだ。

「日本国籍の放棄には抵抗もあったけど、それより代表でプレーしたい思いのほうが強かった。妻も両親も賛成でした。ペガサスで絶好調だった頃、『香港代表を狙いなよ』と話していた岡野さんの言葉が現実になっちゃったんです」

 18年10月16日、敵地での試合に左ウイングで先発。得点こそなかったがチームは1-1で引き分けた。19年に東京ヴェルディで指揮を執ったギャリー・ジョン・ホワイトが香港代表監督だった。

 中村は「あの代表戦が断トツ1位の思い出。入場してスタンドを見渡したら母と妻がいたんです。見つけた時はちょっとねえ……。感極まっちゃって」と言葉を詰まらせた。
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