関学で新天地を見出す
高校進学は複数の選択肢があるなかで、鳥栖U-18ではなく、兄が通っていた大津高を熱望。理由は、大津が彼の負けず嫌いの性格を刺激する環境であったからだった。
「父親がずっと小さい頃から『大津高校はいいぞ』と言っていましたし、実際に兄の試合を学校のグラウンドまで見に行った時も、どれがAチームか分からないくらい、Bチームの選手がAチームと変わらない熱量でサッカーをしているところとかを見て、『この環境は凄いな。ここで揉まれたら絶対に成長できる』と思ったんです。
試合の前後も練習の時も、常にチームに活気があって、一人ひとりがギラついていて、『俺が追い求めるものはこれだな』と思って入学しました」
高校1年生の時は分厚い選手層の前に試合に出られなかったが、2年生になると出番を掴むようになった。そして3年生の時、FWと併用して左サイドハーフでも起用されることになった。
FWでも左サイドハーフでも頭が良い選手であることがすぐに分かるほど、ポジショニング、周りとの関わり方、そして個での仕掛けどころの判断は抜群だった。大学進学を希望していた濃野は、筑波大を希望していたが、ちょうどこの時、成長期はピークを迎えていて、高校1年から3年にかけて身長が10センチ以上伸びたことで、オスグッドを併発しており、筑波大の練習には参加できなかった。
「筑波大に行けないなと思った時に、真っ先に浮かんだのが関学でした。父がずっと『関西学院大に行ってくれたら俺は万々歳だ』と言っていましたし、ちょうど2年生の時の天皇杯でガンバと関学が試合したのを、ガンバファンとしてテレビで見たんです。
「父親がずっと小さい頃から『大津高校はいいぞ』と言っていましたし、実際に兄の試合を学校のグラウンドまで見に行った時も、どれがAチームか分からないくらい、Bチームの選手がAチームと変わらない熱量でサッカーをしているところとかを見て、『この環境は凄いな。ここで揉まれたら絶対に成長できる』と思ったんです。
試合の前後も練習の時も、常にチームに活気があって、一人ひとりがギラついていて、『俺が追い求めるものはこれだな』と思って入学しました」
高校1年生の時は分厚い選手層の前に試合に出られなかったが、2年生になると出番を掴むようになった。そして3年生の時、FWと併用して左サイドハーフでも起用されることになった。
FWでも左サイドハーフでも頭が良い選手であることがすぐに分かるほど、ポジショニング、周りとの関わり方、そして個での仕掛けどころの判断は抜群だった。大学進学を希望していた濃野は、筑波大を希望していたが、ちょうどこの時、成長期はピークを迎えていて、高校1年から3年にかけて身長が10センチ以上伸びたことで、オスグッドを併発しており、筑波大の練習には参加できなかった。
「筑波大に行けないなと思った時に、真っ先に浮かんだのが関学でした。父がずっと『関西学院大に行ってくれたら俺は万々歳だ』と言っていましたし、ちょうど2年生の時の天皇杯でガンバと関学が試合したのを、ガンバファンとしてテレビで見たんです。
そうしたら、ガンバに内定していた山本悠樹選手がいた関学が勝って、もう衝撃しかありませんでした。その時に関学はどんな大学かを調べて、『この大学いいな』と思っていたのを思い出して、平岡和徳総監督にお願いしたんです」
季節は9月でかなり遅い逆オファーだったが、関学は濃野のプレーを見て獲得を決断してくれたことにより、関西で大学サッカー生活をスタートさせた。
関学に来たことで濃野は新天地を見出すことができた。大学2年生の途中でFWから右サイドハーフにコンバートされると、3年生のスタートから右サイドバックに。当初はFWに未練があり、高校の恩師である山城純也監督に「右サイドでプロになれる自信はないです」と相談したこともあった。
「プロのスカウトはそのポジションだけで見ていない。どういう選手かを見ているからこそ、与えられたところで輝いてほしい。負けず嫌いなんだろ?」
この言葉で前向きになった濃野は、より右サイドで自分の能力を活かす術を考えるようになった。結果、「右サイドバックになったことで、より前へのスペースが生まれて自分のスピードやハードワークが活きるようになった」。機を見た攻撃参加に自分の長所を出せる手応えを得た。さらにここで、自分に秘めていた重要な能力を発見した。
季節は9月でかなり遅い逆オファーだったが、関学は濃野のプレーを見て獲得を決断してくれたことにより、関西で大学サッカー生活をスタートさせた。
関学に来たことで濃野は新天地を見出すことができた。大学2年生の途中でFWから右サイドハーフにコンバートされると、3年生のスタートから右サイドバックに。当初はFWに未練があり、高校の恩師である山城純也監督に「右サイドでプロになれる自信はないです」と相談したこともあった。
「プロのスカウトはそのポジションだけで見ていない。どういう選手かを見ているからこそ、与えられたところで輝いてほしい。負けず嫌いなんだろ?」
この言葉で前向きになった濃野は、より右サイドで自分の能力を活かす術を考えるようになった。結果、「右サイドバックになったことで、より前へのスペースが生まれて自分のスピードやハードワークが活きるようになった」。機を見た攻撃参加に自分の長所を出せる手応えを得た。さらにここで、自分に秘めていた重要な能力を発見した。