「指導者にも経験を積んでもらうのが水戸の流儀です」
セカンドキャリア初任地は浦和のハートフルクラブで、技術や戦術の指導ではなく、子どもたちの心を育む役割を担った。キャプテンと呼ばれる統括者は、スカウトでもお世話になった落合さんが務めた。
この秋、創設2年目の関東サッカーリーグ2部、VONDS市原FCから監督兼選手として加入を打診される。引退後は指導者か組織をまとめる職務を考えていただけに、監督兼ゼネラルマネジャー(GM)を提案したところ受け入れてもらえた。落合さんと浦和には心苦しさしかなかったが、夢をかなえる理想的なポストとあり転身を決める。
就任1年目で関東リーグ2位に躍進し、翌14年は初昇格の1部で3位。予選敗退ながらJFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会(現全国地域チャンピオンズリーグ)にも初出場するなど、短期間で成功を収め見事に2役をこなした。だが3年目もリーグ2位の順位ながら、監督もGMも契約満了となってしまう。
失意の退任には違いないが、この3年間で複数の仕事を兼任しノウハウを吸収したことが、現在の職務のベースになっているそうだ。
「指導と編成、強化のほか運営や広報、営業をはじめ、アカデミーの立ち上げやグラウンドとクラブハウスの建設など、クラブにかかわる部署を横断的に経験しました。スケールこそ違うが、水戸でGMに就任してから大いに役立っています」
身の振り方を思案していた折、湘南ベルマーレへ転籍する小原光城強化部長(現FC東京GM)の後任を探していた水戸から声が掛かった。VONDS市原時代の遍歴と実績を評価され、38歳の若さでJリーグクラブの強化部長に就任したのだ。
1、2年目は西ヶ谷隆之監督の補佐役に徹し、3年目に指揮官を代える難しい人事にも着手。ジェフユナイテッド千葉で監督代行の経歴しかない長谷部茂利監督(現アビスパ福岡)を招請した。西村は「育成こそクラブの理念。指導者にも経験を積んでもらうのが水戸の流儀です。そうやってチームを作っていくことに意義がある」と声高に主張した。
4年目の19年9月にはGMに就いた。人件費拡大や人事権掌握、営業や事業などにも広くかかわれるよう、自ら社長に進言したのだ。
この秋、創設2年目の関東サッカーリーグ2部、VONDS市原FCから監督兼選手として加入を打診される。引退後は指導者か組織をまとめる職務を考えていただけに、監督兼ゼネラルマネジャー(GM)を提案したところ受け入れてもらえた。落合さんと浦和には心苦しさしかなかったが、夢をかなえる理想的なポストとあり転身を決める。
就任1年目で関東リーグ2位に躍進し、翌14年は初昇格の1部で3位。予選敗退ながらJFL昇格を懸けた全国地域リーグ決勝大会(現全国地域チャンピオンズリーグ)にも初出場するなど、短期間で成功を収め見事に2役をこなした。だが3年目もリーグ2位の順位ながら、監督もGMも契約満了となってしまう。
失意の退任には違いないが、この3年間で複数の仕事を兼任しノウハウを吸収したことが、現在の職務のベースになっているそうだ。
「指導と編成、強化のほか運営や広報、営業をはじめ、アカデミーの立ち上げやグラウンドとクラブハウスの建設など、クラブにかかわる部署を横断的に経験しました。スケールこそ違うが、水戸でGMに就任してから大いに役立っています」
身の振り方を思案していた折、湘南ベルマーレへ転籍する小原光城強化部長(現FC東京GM)の後任を探していた水戸から声が掛かった。VONDS市原時代の遍歴と実績を評価され、38歳の若さでJリーグクラブの強化部長に就任したのだ。
1、2年目は西ヶ谷隆之監督の補佐役に徹し、3年目に指揮官を代える難しい人事にも着手。ジェフユナイテッド千葉で監督代行の経歴しかない長谷部茂利監督(現アビスパ福岡)を招請した。西村は「育成こそクラブの理念。指導者にも経験を積んでもらうのが水戸の流儀です。そうやってチームを作っていくことに意義がある」と声高に主張した。
4年目の19年9月にはGMに就いた。人件費拡大や人事権掌握、営業や事業などにも広くかかわれるよう、自ら社長に進言したのだ。
アツマーレという新たな練習場とクラブハウスが18年2月、水戸市内から車で40分超の山あいに完成。15年に閉校となった城里町立七会中学を再利用した素晴らしい複合施設で、西村はここを拠点にさまざまな企画を立案しては実行している。
アツマーレの運用開始とともに始めた『メイク・バリュー・プロジェクト』という人材育成プログラムもそのひとつだ。講師に招いた多種多様な人たちの価値観や生き方などに触れ、自分はどうあるべきか、サッカーを通じて何がしたいのか、といった人生観を考えられる選手の養成を目ざして立ち上げた。1回90分か120分、新人は毎週受講する。
Jリーグが02年に設立したキャリアサポートセンターでの実体験がきっかけだ。「選手時代にインターンシップで7社と交流し、異業種の方々と接したことで視野が広がりました。水戸でも同じことをやりたかった。行動変容が定着すれば、サッカー選手という職業の価値も高まると思う」とうれしそうに話した。
アツマーレの運用開始とともに始めた『メイク・バリュー・プロジェクト』という人材育成プログラムもそのひとつだ。講師に招いた多種多様な人たちの価値観や生き方などに触れ、自分はどうあるべきか、サッカーを通じて何がしたいのか、といった人生観を考えられる選手の養成を目ざして立ち上げた。1回90分か120分、新人は毎週受講する。
Jリーグが02年に設立したキャリアサポートセンターでの実体験がきっかけだ。「選手時代にインターンシップで7社と交流し、異業種の方々と接したことで視野が広がりました。水戸でも同じことをやりたかった。行動変容が定着すれば、サッカー選手という職業の価値も高まると思う」とうれしそうに話した。