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“育成の水戸”への挑戦。かつて浦和レッズで鳴かず飛ばずだった男がセカンドキャリアで名GMへと飛躍するまで

カテゴリ:Jリーグ

河野 正

2023年04月06日

34歳でスパイクを脱いだ。「引退を決めると涙がこみ上げてきた」

「アツマーレ」を拠点に人とクラブの育成に心血を注ぐ水戸の西村卓朗GM。写真:河野正

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 浦和レッズでキャリアをスタートさせた西村卓朗は、国内外で11年間のプロ生活を送ったが、輝かしい戦歴を残せないまま2011年に引退した。しかしフロント業務に携わった途端に異能を示し、水戸ホーリーホックでは「育成」という理念の下、人とクラブと街が育つさまざま施策を打ち出して功科を挙げている。

 一浪して大学サッカーの名門、国士舘大に進んだ西村は3年生でレギュラーに定着し、夏の全日本大学トーナメントと冬の全日本大学選手権の2冠を獲得する。ユニバーシアード日本代表や関東大学選抜の経験すらなかったが、プロの一員になる情熱だけはたぎらせていた。

 4年生の夏だ。中学・高校時代に通ったクラブチーム、三菱養和SCの恩師が取り持ち、当時J2だった浦和の練習に参加した。

 9月3日の東京学芸大との練習試合では、後半から右SBで出場して切れ味鋭いプレーを披露。その後、関東大学リーグを数試合視察したスカウト担当の責任者、落合弘さんから「うちには山田暢久というすごい右サイドがいるから、彼を脅かす存在になってほしい」との下命を受け、10月末に浦和入りが内定した。

 私は同じくスカウトの宮崎義正さんに「今度入って来る西村って新人は、縦に抜け出すスピードでは暢久より速いかもしれない」と聞かされていただけに、その姿を観戦できる日を待ちわびたものだ。

 01年1月28日の加入会見で「スペースを見つけて長い距離を走るのが持ち味です。入っただけでは意味がないので、早く試合に出たい。好きな選手は元ブラジル代表のジョルジーニョと元ドイツ代表のブレーメ」と所信を述べた。

 しかしブラジル人のチッタ、ピッタ両監督が指揮した1年目は、公式戦で1度もベンチ入りできず、ハンス・オフト監督が就任した2年目は、第2ステージのヴィッセル神戸戦で帯同したものの出番はなし。03年もリーグ戦2試合、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)3試合、天皇杯1試合でメンバー入りしたが、“3年目の正直”とはいかなかった。

「山田さんの壁はすごく高かったし、2年目には平川(忠亮)も入ってさらに競争は厳しくなりました。なぜ出られないのか、出るにはどうしたらいいのかを突き詰め、2年目は寮から都内の実家に戻り、自分が所属していた少年団の早朝練習に顔を出した後、レッズの練習に電車で通ったりしました。生活リズムを変えることで現状も変わるのでは、ともがいてばかりでしたね」
 
 大学の先輩で日本代表主将も務めた柱谷哲二さんが03年、浦和のコーチとなって主にサテライトチームを指導。戦術面は柱谷コーチに、技術面は池田太コーチに徹底的に習い、怪我をするたびにトレーナーと相談しては肉体改造を試みた。

 03年12月に大宮アルディージャとモンテディオ山形から獲得の申し出があった。浦和とは単年契約が3年続き、さすがに4年目はないと覚悟を決めていたら契約を提示され、指揮官がギド・ブッフバルトに交代することもあって、浦和でもう1年挑戦することにした。

 04年は開幕戦から首尾よく帯同したが、第2節以降はベンチ入りも果たせず、柱谷コーチの助言もあって7月に大宮へ期限付き移籍。8月25日の第30節でJリーグデビューすると、右SBとして残り全試合に出場。第32節から破竹の13連勝を飾り初のJ1昇格に手を貸した。

 完全移籍した翌年は、リーグ戦34試合中31試合に出場。3年半で1度も公式戦を経験できなかった男は、「選手って技術、フィジカル、メンタル、戦術の壁にぶつかるものですが、浦和でうまくいかない時にこの4つとじっくり向き合えたことが大宮で活きたんです」と述懐する。

 大宮は05年、リーグ戦とナビスコ杯と天皇杯で浦和と計5度対戦し、1勝4敗だった。移籍当初は古巣を見返すことばかり考えていたが、このシーズンが終わる頃にはそんな思いもなくなり、「あの3年半があったから今の自分があると感じ、感謝の気持ちが芽生えました」と語る。

翌年春に右足首をねん挫した。ポジションを失うのが怖く、完治しないまま復帰すると足首周辺が悪化していった。リーグ戦出場は12試合(先発7)で、07年は24試合と復調したものの、08年は1度もベンチ入りできずに契約満了となった。

 その後米国で2年、コンサドーレ札幌で1年プレー。12年も現役続行のつもりでJリーグ加入テストを受け、自主トレしながら吉報を待った。だが「気持ちが入らず、走る速度も上がらなくなったので、その場で引退を決めると涙がこみ上げてきた」。

 11年12月29日の夕刻だった。
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