ゲームビジョンを備えた本田はボランチの素養がある。しかし、本人はその選択を拒んだ。
しかし、そのリズムの遅さをもって、本田不要論を唱えるのは、あまりにも短絡的だ。
古いイメージの“司令塔”は、トップ下から様々なポジションに移動し、新しいサッカーの創造に寄与してきた。
たとえば、その移動先のひとつは、ボランチだ。
シャビ・エルナンデス、アンドレア・ピルロ、あるいはレアル・マドリードのトニ・クロースらは、ポジションを後ろに下げ、プレッシャーを避けて、より低い位置からゲームを組み立てるようになった。
自分のやりたいプレーだけでなく、味方や敵との関係でプレーを選択する、ゲームビジョンを備えた本田も、彼らのような“ディープ・プレーメーカー”の素質がある。だが、本人はその選択を拒んだ。
ニコ生で放送中のサッカー情報番組『TUESDAY FOOTBALL』で、解説の秋田豊氏が語ったところによると、秋田氏も本田にボランチ転向を勧めたが、本人は10代の頃に一度もボランチでやったことがなく、そのポジションでプレーするイメージが掴めないらしい。30歳を迎えるこの時期に、また一からやり直すリスクは、受け入れられないと。
もっともな話だ。だからこそ、彼自身が経営するサッカースクールでは、若い選手に様々なポジションを経験してもらいたいと、考えているそうだ。
そうした理由もあり、本田の新しい移動先は、右サイドとなった。
これも司令塔の移動先としては、ボランチと並び、ポピュラーな選択肢と言える。
2000年代前半、デル・ボスケが指揮したレアル・マドリードでは、ジネディーヌ・ジダンが、中央から左サイドへポジションを移した。2006年に発足したオシムジャパン、その流れを汲む岡田ジャパンでも、中村俊輔は、中央ではなく右サイドでプレー。セルティックでも右サイドハーフを務め、スペースのあるサイドから攻撃を組み立てた。
“サイドの司令塔”を成功させる鍵は、攻撃的なSBの存在だ。ジダンにとってはロベルト・カルロス、中村俊にとっては内田篤人がキープレーヤーとなり、彼らが後方からオーバーラップすることで、サイドの司令塔は、中央への動きを織り交ぜ、得意なプレーを出しやすくなった。
その意味では、右サイドの本田が中盤の組み立てで機能するポイントは、右SBの酒井宏樹になる。ハリルジャパンは試合によって戦い方を変えるが、よりサイド攻撃が求められる試合では、ここでのコンビネーションが重要だろう。
古いイメージの“司令塔”は、トップ下から様々なポジションに移動し、新しいサッカーの創造に寄与してきた。
たとえば、その移動先のひとつは、ボランチだ。
シャビ・エルナンデス、アンドレア・ピルロ、あるいはレアル・マドリードのトニ・クロースらは、ポジションを後ろに下げ、プレッシャーを避けて、より低い位置からゲームを組み立てるようになった。
自分のやりたいプレーだけでなく、味方や敵との関係でプレーを選択する、ゲームビジョンを備えた本田も、彼らのような“ディープ・プレーメーカー”の素質がある。だが、本人はその選択を拒んだ。
ニコ生で放送中のサッカー情報番組『TUESDAY FOOTBALL』で、解説の秋田豊氏が語ったところによると、秋田氏も本田にボランチ転向を勧めたが、本人は10代の頃に一度もボランチでやったことがなく、そのポジションでプレーするイメージが掴めないらしい。30歳を迎えるこの時期に、また一からやり直すリスクは、受け入れられないと。
もっともな話だ。だからこそ、彼自身が経営するサッカースクールでは、若い選手に様々なポジションを経験してもらいたいと、考えているそうだ。
そうした理由もあり、本田の新しい移動先は、右サイドとなった。
これも司令塔の移動先としては、ボランチと並び、ポピュラーな選択肢と言える。
2000年代前半、デル・ボスケが指揮したレアル・マドリードでは、ジネディーヌ・ジダンが、中央から左サイドへポジションを移した。2006年に発足したオシムジャパン、その流れを汲む岡田ジャパンでも、中村俊輔は、中央ではなく右サイドでプレー。セルティックでも右サイドハーフを務め、スペースのあるサイドから攻撃を組み立てた。
“サイドの司令塔”を成功させる鍵は、攻撃的なSBの存在だ。ジダンにとってはロベルト・カルロス、中村俊にとっては内田篤人がキープレーヤーとなり、彼らが後方からオーバーラップすることで、サイドの司令塔は、中央への動きを織り交ぜ、得意なプレーを出しやすくなった。
その意味では、右サイドの本田が中盤の組み立てで機能するポイントは、右SBの酒井宏樹になる。ハリルジャパンは試合によって戦い方を変えるが、よりサイド攻撃が求められる試合では、ここでのコンビネーションが重要だろう。