自分にベクトルを向け続けたデビューまでの4年間
大卒でJリーグに飛び込んだ上福元は、2015年7月18日のJ2第24節、V・ファーレン長崎戦で公式戦デビューするまでに約4年を要した。
4年という月日は決して短くはなかったはずだ。大分で公式戦に出られない日々、どのように過ごしていたのか。
――◆――◆――
試合に出られない理由は、自分の中ではっきりと整理できていました。順天堂大で4年の途中から特別指定で大分に参加していたので、プロ4年目の7月の初出場まで、丸4年間くらい公式戦の機会がありませんでした。
その間、メンバー外になったり、サブのメンバーとしてベンチ入りできたり、色々な状況やタイミングはありました。ただ、自分が「スタメンで出られるか?」と客観的に分析した時に、まだまだ力が足りないのは分かっていました。
そういう状態で、本当にキリがなかったのですが、判断力、技術力、体力、どの部分でも上がいるなかで、トレーニングを積み上げた4年間でした。自分に自信がなかったわけではないのですが、当時のスタメン選手と自分を比べると、単純にふさわしくない要素だらけでした。
ただ、常に自分に足りないものにベクトルを向けて4年間を積み上げた、と胸を張って言えます。試合に出られない理由を外に向けずに、自分にベクトルを向ける。これを4年間、1日たりとも目を背けず、当たり前のようにできました。あの4年間は、僕にとってとても大きいです。
力が足りないと把握しながら、自分を高めていく作業をブレずに続けました。指導者やフィールドプレーヤーからの要求に対しても、話を聞いて受け入れていたつもりです。
周りのサポートのおかげで、できるプレーが少しずつ増えてきて、少しずつ自信もついてきたなかで、初の試合出場となった長崎戦は、2-1で勝利できました。
積み上げてきた自信が大きく、何も臆せず、むしろ楽しめました。公式戦は大学以来4年ぶりだったので、いつもと違う不思議な感覚はありました。自分の引き出しを最大限使うのが楽しく、成長できる感触も持てました。1失点したものの、勝利に貢献できて嬉しかった。貴重なデビュー戦、今でも鮮明に覚えています。
僕は182センチでサイズがあるGKではありません。だから、自分の特長を活かしたプレーや、やらなければならない動きに常に目を向けてやってきました。いろいろなスタイルの指導者に巡り合って足りないものと自分の強みを融合させ、積み重ねていきました。積み上げは、今も続いていきます。まだまだ発展途上で、この歳になっても作業は変わらないと日々感じています。
4年という月日は決して短くはなかったはずだ。大分で公式戦に出られない日々、どのように過ごしていたのか。
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試合に出られない理由は、自分の中ではっきりと整理できていました。順天堂大で4年の途中から特別指定で大分に参加していたので、プロ4年目の7月の初出場まで、丸4年間くらい公式戦の機会がありませんでした。
その間、メンバー外になったり、サブのメンバーとしてベンチ入りできたり、色々な状況やタイミングはありました。ただ、自分が「スタメンで出られるか?」と客観的に分析した時に、まだまだ力が足りないのは分かっていました。
そういう状態で、本当にキリがなかったのですが、判断力、技術力、体力、どの部分でも上がいるなかで、トレーニングを積み上げた4年間でした。自分に自信がなかったわけではないのですが、当時のスタメン選手と自分を比べると、単純にふさわしくない要素だらけでした。
ただ、常に自分に足りないものにベクトルを向けて4年間を積み上げた、と胸を張って言えます。試合に出られない理由を外に向けずに、自分にベクトルを向ける。これを4年間、1日たりとも目を背けず、当たり前のようにできました。あの4年間は、僕にとってとても大きいです。
力が足りないと把握しながら、自分を高めていく作業をブレずに続けました。指導者やフィールドプレーヤーからの要求に対しても、話を聞いて受け入れていたつもりです。
周りのサポートのおかげで、できるプレーが少しずつ増えてきて、少しずつ自信もついてきたなかで、初の試合出場となった長崎戦は、2-1で勝利できました。
積み上げてきた自信が大きく、何も臆せず、むしろ楽しめました。公式戦は大学以来4年ぶりだったので、いつもと違う不思議な感覚はありました。自分の引き出しを最大限使うのが楽しく、成長できる感触も持てました。1失点したものの、勝利に貢献できて嬉しかった。貴重なデビュー戦、今でも鮮明に覚えています。
僕は182センチでサイズがあるGKではありません。だから、自分の特長を活かしたプレーや、やらなければならない動きに常に目を向けてやってきました。いろいろなスタイルの指導者に巡り合って足りないものと自分の強みを融合させ、積み重ねていきました。積み上げは、今も続いていきます。まだまだ発展途上で、この歳になっても作業は変わらないと日々感じています。