助けを求めている人たちのために、全力を注ぎたいと思う。
タイは何処へ行っても雰囲気のあるお寺がある。そしてたくさんの人が集まり参拝していく。歴史を深く勉強して来る人、世界有数の観光地のひとつという認識で来る人。地元タイ人から外国人まで、数多くの人が集まる。
そして僕もタイに来てから、いくつかのお寺を参拝してきたのだが、そんなチェンマイの寺院の大仏様のなかでも、僕のお気に入りを紹介しよう。
チェンマイにあるたくさんのお寺のなかで、僕は「ワット•チェディ•ルアン」というお寺が一番好きだ。そこには友人、知人が来ると必ず連れて行くようにしていて、チェンマイにあるお堀の中央に位置するお寺だ。
そのお寺に、大きな涅槃像と太った派手な大仏様がいる。大仏様に「いる」では本当はいけないんだろうけど、今回はそう表現しよう(笑)。
ご存じのとおり、涅槃像は横になり肘で頭を支えて寝っ転がった姿勢だ。一方の太った大仏は、まるで漫画のようで日本の大仏とは正反対の見栄え。
はじめ、このふたつの大仏を見た時、その佇まいに僕の第一印象は、「?」だった……。
しかし、これらの大仏にも深い意味があるのだ。友人にその姿勢や体型の由来を聞いてびっくりした。
まず涅槃像は、仏様が亡くなる寸前に、横に寝そべるような姿勢で亡くなっていったことから作られたと言われる。それも、仏様に誤まって毒を盛った人に対し、仏様は「気にすることはないよ」と言い、そのまま横になりながら安らかに眠っていったという言い伝えがあるらしい。
僕は「うん、これは凄い!」と素直にそう思った。そこまで広く『人を許す心を持つ』ことができる人など、そうそういないだろう。
そして、太った大仏様は、なぜ太ったのか――。それは人のなかに棲む魔物や人の悪いモノを吸って、食べて、お腹が膨れているのである。
これも本当に凄い精神力だ。
『人を守る心、人を助ける心を持つ』ということなのだ。
短期間での仕事となるタミーワタナでの4試合で、僕がなにをもたらせるのかは分からない。ただ、大仏様と同じ心で、とまでは言えないにしても、やはり助けを求めてもがいている人たちのために、僕が持っているものを全力で注ぎたいと思っている。
もう少し続くタイでの僕の新しいトライを見守ってほしい。
そして、この新しいミッションに全力で取り組むために、今回のコラムを最後に、少し連載をお休みすることになった。またお会いできる日を楽しみにしてほしい。
2015年9月1日
三浦泰年
そして僕もタイに来てから、いくつかのお寺を参拝してきたのだが、そんなチェンマイの寺院の大仏様のなかでも、僕のお気に入りを紹介しよう。
チェンマイにあるたくさんのお寺のなかで、僕は「ワット•チェディ•ルアン」というお寺が一番好きだ。そこには友人、知人が来ると必ず連れて行くようにしていて、チェンマイにあるお堀の中央に位置するお寺だ。
そのお寺に、大きな涅槃像と太った派手な大仏様がいる。大仏様に「いる」では本当はいけないんだろうけど、今回はそう表現しよう(笑)。
ご存じのとおり、涅槃像は横になり肘で頭を支えて寝っ転がった姿勢だ。一方の太った大仏は、まるで漫画のようで日本の大仏とは正反対の見栄え。
はじめ、このふたつの大仏を見た時、その佇まいに僕の第一印象は、「?」だった……。
しかし、これらの大仏にも深い意味があるのだ。友人にその姿勢や体型の由来を聞いてびっくりした。
まず涅槃像は、仏様が亡くなる寸前に、横に寝そべるような姿勢で亡くなっていったことから作られたと言われる。それも、仏様に誤まって毒を盛った人に対し、仏様は「気にすることはないよ」と言い、そのまま横になりながら安らかに眠っていったという言い伝えがあるらしい。
僕は「うん、これは凄い!」と素直にそう思った。そこまで広く『人を許す心を持つ』ことができる人など、そうそういないだろう。
そして、太った大仏様は、なぜ太ったのか――。それは人のなかに棲む魔物や人の悪いモノを吸って、食べて、お腹が膨れているのである。
これも本当に凄い精神力だ。
『人を守る心、人を助ける心を持つ』ということなのだ。
短期間での仕事となるタミーワタナでの4試合で、僕がなにをもたらせるのかは分からない。ただ、大仏様と同じ心で、とまでは言えないにしても、やはり助けを求めてもがいている人たちのために、僕が持っているものを全力で注ぎたいと思っている。
もう少し続くタイでの僕の新しいトライを見守ってほしい。
そして、この新しいミッションに全力で取り組むために、今回のコラムを最後に、少し連載をお休みすることになった。またお会いできる日を楽しみにしてほしい。
2015年9月1日
三浦泰年