「競争相手が、どこに行ってもたくさんいた」
そんな近藤は、磐田U-18から法政大にやってきた。高校、大学と常に強烈なライバルたちとともにサッカー人生を歩んできた。
高校時代は1学年下に、昨年、U-22日本代表としてU-23アジアカップ予選に出場をしたGK杉本光希(立正大)がいた。磐田U-18で高3の春までは近藤がレギュラーだったが、途中から杉本に守護神の座を明け渡し、最後まで奪い返すことはできなかった。
大学に進学をすると、1年次には中野小次郎(札幌)らが立ちはだかった。2年次の序盤こそレギュラーの座を掴み取ったが、終盤は中野に定位置を奪い返される形となった。
さらに1学年下のGK中川真が成長し、法政大の守護神争いはまさに『三つ巴』の状態になった。そして昨年も前期はレギュラーとして出場をするも、後期は中川にスタメンを譲る試合も増え、なかなか定着できない日々が続いた。
そして今年、全日本大学選抜に選ばれるも、第1GKは、青森山田高時代に全国制覇を成し遂げている同い年の飯田雅浩(国士舘大)だった。
高校時代は1学年下に、昨年、U-22日本代表としてU-23アジアカップ予選に出場をしたGK杉本光希(立正大)がいた。磐田U-18で高3の春までは近藤がレギュラーだったが、途中から杉本に守護神の座を明け渡し、最後まで奪い返すことはできなかった。
大学に進学をすると、1年次には中野小次郎(札幌)らが立ちはだかった。2年次の序盤こそレギュラーの座を掴み取ったが、終盤は中野に定位置を奪い返される形となった。
さらに1学年下のGK中川真が成長し、法政大の守護神争いはまさに『三つ巴』の状態になった。そして昨年も前期はレギュラーとして出場をするも、後期は中川にスタメンを譲る試合も増え、なかなか定着できない日々が続いた。
そして今年、全日本大学選抜に選ばれるも、第1GKは、青森山田高時代に全国制覇を成し遂げている同い年の飯田雅浩(国士舘大)だった。
法政大では昨年、U-20日本代表候補にも選ばれた中川が虎視淡々とレギュラーの座を狙っており、激しいポジション争いは現在も継続中だ。また、プロを目指すなかで古巣磐田への復帰を考えるのであれば、同じく磐田U-18出身で1学年下の杉本の存在もライバルになる。
さらに近藤は、2001年1月15日生まれ。パリ五輪を目指すU-21日本代表の世代であり、そうなると小久保玲央ブライアン(ベンフィカ)、鈴木彩艶(浦和)、野澤大志ブランドン(岩手)などハイレベルな選手たちがライバルとなる。
どこにいっても不動の存在となれないもどかしさはある。だが、その環境こそ自分を成長させてくれた1番の要因だと近藤ははっきり言い切った。
「彼らの存在がなければ、僕はこの位置まで来れていないし、全日本大学選抜にも選ばれていなかったと思う。もちろん競争相手が、どこに行ってもたくさんいたことで、苦しい時間はたくさんあったけど、それ以上に自分がどうやったら試合に出られるのか、成長できるのかを真剣に考える時間が多くあった。それこそが僕が大学で一番伸びた最大の要素だと思っています」
その言葉通り、苦しい思いや、思い通りにいかない現実に何度も直面しながらも、ライバルを認め、自分の成長を突き詰めてきたからこそ、彼は常に競争の場に立てていると言っていい。
さらに近藤は、2001年1月15日生まれ。パリ五輪を目指すU-21日本代表の世代であり、そうなると小久保玲央ブライアン(ベンフィカ)、鈴木彩艶(浦和)、野澤大志ブランドン(岩手)などハイレベルな選手たちがライバルとなる。
どこにいっても不動の存在となれないもどかしさはある。だが、その環境こそ自分を成長させてくれた1番の要因だと近藤ははっきり言い切った。
「彼らの存在がなければ、僕はこの位置まで来れていないし、全日本大学選抜にも選ばれていなかったと思う。もちろん競争相手が、どこに行ってもたくさんいたことで、苦しい時間はたくさんあったけど、それ以上に自分がどうやったら試合に出られるのか、成長できるのかを真剣に考える時間が多くあった。それこそが僕が大学で一番伸びた最大の要素だと思っています」
その言葉通り、苦しい思いや、思い通りにいかない現実に何度も直面しながらも、ライバルを認め、自分の成長を突き詰めてきたからこそ、彼は常に競争の場に立てていると言っていい。