【消えた逸材】オランダで得点王に輝いたモロッコ代表FW、トッテナムでは“出場ゼロ”でアヤックスでは監督と衝突。現在はスナイデルの誘いを受けて…
カテゴリ:連載・コラム
2021年10月28日
ロッカールームでデブール監督と衝突?
新政権の初陣、チャンピオンズ・リーグのミラン戦でいきなりスタメン落ち。不満をあらわにしたメディア対応でデブールの不興を買うと、決定的な衝突が起こる。
RKCと対戦した3月のKNVBカップ準決勝だった。先発してゴールを奪いながらハーフタイムで交代を告げられると、これに腹を立て、ロッカルームで「許されざる行為」(デブール)に及ぶ。デブールに突っかかり、チームメイトが慌てて取り押さえたという報道は、その場にいたヤン・ヴェルトンゲンが否定したが、それに近い乱暴な振る舞いがあったのは事実だろう。
謹慎処分を言い渡され、1か月ほどで復帰が許されても、ピッチで身勝手なプレーを繰り返すばかり。味方にパスを出そうとせず、強引なシュートでチャンスを潰し、やがてファンからも愛想を尽かされ完全に孤立した。
移籍の受け皿が見つからなかった翌11-12シーズンはエールディビジの選手登録を外れ、リザーブチーム(U-21チーム)で飼い殺しにされたのは、自業自得でしかないだろう。監督の評価を冷静に受け止められなかったのはプロとしての自身の未熟さだ。
RKCと対戦した3月のKNVBカップ準決勝だった。先発してゴールを奪いながらハーフタイムで交代を告げられると、これに腹を立て、ロッカルームで「許されざる行為」(デブール)に及ぶ。デブールに突っかかり、チームメイトが慌てて取り押さえたという報道は、その場にいたヤン・ヴェルトンゲンが否定したが、それに近い乱暴な振る舞いがあったのは事実だろう。
謹慎処分を言い渡され、1か月ほどで復帰が許されても、ピッチで身勝手なプレーを繰り返すばかり。味方にパスを出そうとせず、強引なシュートでチャンスを潰し、やがてファンからも愛想を尽かされ完全に孤立した。
移籍の受け皿が見つからなかった翌11-12シーズンはエールディビジの選手登録を外れ、リザーブチーム(U-21チーム)で飼い殺しにされたのは、自業自得でしかないだろう。監督の評価を冷静に受け止められなかったのはプロとしての自身の未熟さだ。
12年夏、3年契約と背番号9番を用意したフィオレンティーナに移籍するも、1年目が19試合・3ゴールに終わると翌13-14シーズンはマラガへレンタル。そこでもパッとせず、最後はほぼ戦力外の扱いで3年の契約期間が満了した。
フィオレンティーナ退団後は、古巣AZからカタール、サウジアラビアと中東のクラブを渡り歩き、18-19シーズンのエクセルシオールを最後に第一線を離れ、20年10月からオランダ5部に相当するアマチュアリーグのDHSCに籍を置いている。
ユトレヒトが本拠地のDHSCは、元オランダ代表の名手ヴェスレイ・スナイデルが本格的にサッカーを始めたクラブで、知り合いに誘われて参加した親善試合でスナイデルから入団の誘いを受け、「楽しみながら続ける道を選んだ」。しかし、ここでキャリアを終えるつもりはないそうだ。37歳になったムニル・エル・ハムダウィは言う。
「しっかりフットボールを続けたい」
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年9月16日号より転載
フィオレンティーナ退団後は、古巣AZからカタール、サウジアラビアと中東のクラブを渡り歩き、18-19シーズンのエクセルシオールを最後に第一線を離れ、20年10月からオランダ5部に相当するアマチュアリーグのDHSCに籍を置いている。
ユトレヒトが本拠地のDHSCは、元オランダ代表の名手ヴェスレイ・スナイデルが本格的にサッカーを始めたクラブで、知り合いに誘われて参加した親善試合でスナイデルから入団の誘いを受け、「楽しみながら続ける道を選んだ」。しかし、ここでキャリアを終えるつもりはないそうだ。37歳になったムニル・エル・ハムダウィは言う。
「しっかりフットボールを続けたい」
文●松野敏史
※『ワールドサッカーダイジェスト』2021年9月16日号より転載