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【消えた逸材】オランダで得点王に輝いたモロッコ代表FW、トッテナムでは“出場ゼロ”でアヤックスでは監督と衝突。現在はスナイデルの誘いを受けて…

カテゴリ:連載・コラム

ワールドサッカーダイジェスト編集部

2021年10月28日

AZで才能を開花させる

20歳で引き抜かれたトッテナムでは、結局プレミアリーグのピッチに一度も立てず退団を余儀なくされた。 (C)REUTERS/AFLO

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Mounir EL HAMDAOUI
ムニエル・エル・ハムダウィ(FW/元モロッコ代表)
■生年月日/1984年7月14日
■身長・体重/183㎝・81㎏


 地元ロッテルダムのエクセルシオールからトッテナムへとステップアップの移籍を果たしたのは2005年1月、20歳の時だった。

 機動力を活かしたダイナミックな動きで守備を撹乱し、鋭いフィニッシュを打ち込むストライカーのポテンシャルを高く評価したのが、当時トッテナムを率いていたオランダ人の指揮官、マルティン・ヨルだった。

 不運に見舞われたのは、ダービーにレンタル移籍した05-06シーズンだ。肩の脱臼に股関節痛と怪我が重なり、非情な決断が下される。トッテナムが放出を決め、プレミアリーグのピッチに一度も立つことなく、オランダへと失意の帰還を強いられたのだった。

 心が折れてしまっても不思議はない大きな挫折だ。しかし、へこたれなかった。ウィレムⅡを経て加入したAZで才能を開花させる。記念碑的なシーズンとなったのは、2年目の08-09シーズンだ。23ゴールを挙げてエールディビジの得点王となり、AZをクラブ史上2度目のリーグ優勝へと導くのだ。さらにプレーヤー・オブ・ザ・イヤーも受賞して“3冠”に輝いた。
 
 翌09-10シーズンも20ゴールと活躍を続け、10年夏、再びステップアップのチャンスを掴み取る。決まったのはアヤックスへの移籍だ。偶然か、必然か、このときのアヤックスを率いていたのもヨルだった。

 新天地でのスタートはこれ以上ないほど最高だった。フローニンヘンとの開幕戦で2ゴールを挙げると、3節のローダJC戦でも2ゴール。その後もコンスタントに得点を重ね、12節までに11ゴールを量産した。この圧巻のパフォーマンスに舌を巻いたのは、前線でコンビを組んだルイス・スアレスだ。前シーズンに35ゴールを挙げたエースは、メディアにこう語った。

「ムニルはシンプルに凄い。アヤックスを移籍先に選んでくれて本当によかった。ゴールにアシストに、大きなプラスアルファをもたらしてくれた」

 ところが、またしても暗雲が垂れ込める。きっかけは監督交代だった。成績不振で12月にヨルが解任され、フランク・デブールが後任に就くと評価が180度変わり、控えに追いやられてしまう。同じ4-3-3システムでも、デブールは3トップの中央に基準点型のCFを求めたのだ。
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