ドラスティックな変化への期待と、準備期間の短さへの危惧。
時にウィットに富んだコメントを発して、ウズベキスタン戦後の会見場に集った報道陣を何度か笑わせた指揮官は、「今日の試合はスペクタクルでコレクティブだった」と振り返り、何度も「tactique(フランス語で戦術の意味)」という言葉を繰り返した。時間の経過とともに熱を帯び、戦術上の狙いについて言及していく会見は、その場にいるすべての人間を惹き込む魅力に溢れていた。
【PHOTOギャラリー】日本 5 -1 ウズベキスタン
ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれのフランス国籍。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の出身地と国籍を、歴代の日本代表監督に単純に当てはめてみれば、イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身)のような論理的な思考の持ち主で、フィリップ・トルシエ(フランス国籍)のように自らを演出することに長けた野心家――そんなパーソナリティが浮かび上がる。
今回の会見の冒頭でも、「この2試合で、私はかなりのリスクを負ったと思います。27人ものプレーヤーを試しました。これはものすごいリスクです」と、自らの手で困難な状況を生み出し、それを乗り越えたことを誇らしげに語ったあたりに、彼の自尊心の高さを垣間見た気がした。
もちろん、2試合でスタメンを総入れ替えし、最終的に27人もの選手を起用して2連勝を飾るというのは、ホームの”緩い”親善試合とはいえ、特筆に値するだろう。9日間の合宿を通じて指揮官が、言葉によって選手の競争心を煽り、実際に前体制下での序列を壊すような采配を振るってみせたのだ。
新監督就任直後の代表チームでは見慣れた光景ではあるものの、規模と大胆さ、そして国内組に対するメッセージ性という意味では、2006年8月の就任初戦に向けてわずか13人の招集リストを発表し(その後、5選手を追加招集)、実際に9選手をA代表デビューさせたオシム監督の初陣に通じるものがある。
刺激は、確かに与えられた。
昨夏のブラジル・ワールドカップと、今年1月のアジアカップでの早期敗退に打ちひしがれ、自信を失っていた日本代表にとっては、ピッチ上だけでなく、選手のメンタル面にも鋭く切り込む「教師タイプ」のハリルホジッチ監督は、最適な指揮官と言える。
しかし難しいのは、8年半前のオシム監督とは違い、ドラスティックな変化を加えた後にチームの基盤をじっくりと築き上げていく準備期間が、彼には残されていないということだ。ロシア・ワールドカップに向けた戦いは、わずか2か月後の6月11日に早くもスタートする。つまり次の代表活動から、公式戦を戦うのと同時に、チームのベース作りを進めていくという難題に、いきなり取り組まなければいけないのだ。
この状況はむしろ、オシム監督が病に倒れた後、2007年12月に急きょ発足した第2次岡田武史体制と似ている。あの時も、就任直後の2008年2月からワールドカップ予選が始まり、公式戦で結果を手にすることを優先しながら、チームのベースアップを図る難しさに直面している。
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ボスニア・ヘルツェゴビナ生まれのフランス国籍。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の出身地と国籍を、歴代の日本代表監督に単純に当てはめてみれば、イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ出身)のような論理的な思考の持ち主で、フィリップ・トルシエ(フランス国籍)のように自らを演出することに長けた野心家――そんなパーソナリティが浮かび上がる。
今回の会見の冒頭でも、「この2試合で、私はかなりのリスクを負ったと思います。27人ものプレーヤーを試しました。これはものすごいリスクです」と、自らの手で困難な状況を生み出し、それを乗り越えたことを誇らしげに語ったあたりに、彼の自尊心の高さを垣間見た気がした。
もちろん、2試合でスタメンを総入れ替えし、最終的に27人もの選手を起用して2連勝を飾るというのは、ホームの”緩い”親善試合とはいえ、特筆に値するだろう。9日間の合宿を通じて指揮官が、言葉によって選手の競争心を煽り、実際に前体制下での序列を壊すような采配を振るってみせたのだ。
新監督就任直後の代表チームでは見慣れた光景ではあるものの、規模と大胆さ、そして国内組に対するメッセージ性という意味では、2006年8月の就任初戦に向けてわずか13人の招集リストを発表し(その後、5選手を追加招集)、実際に9選手をA代表デビューさせたオシム監督の初陣に通じるものがある。
刺激は、確かに与えられた。
昨夏のブラジル・ワールドカップと、今年1月のアジアカップでの早期敗退に打ちひしがれ、自信を失っていた日本代表にとっては、ピッチ上だけでなく、選手のメンタル面にも鋭く切り込む「教師タイプ」のハリルホジッチ監督は、最適な指揮官と言える。
しかし難しいのは、8年半前のオシム監督とは違い、ドラスティックな変化を加えた後にチームの基盤をじっくりと築き上げていく準備期間が、彼には残されていないということだ。ロシア・ワールドカップに向けた戦いは、わずか2か月後の6月11日に早くもスタートする。つまり次の代表活動から、公式戦を戦うのと同時に、チームのベース作りを進めていくという難題に、いきなり取り組まなければいけないのだ。
この状況はむしろ、オシム監督が病に倒れた後、2007年12月に急きょ発足した第2次岡田武史体制と似ている。あの時も、就任直後の2008年2月からワールドカップ予選が始まり、公式戦で結果を手にすることを優先しながら、チームのベースアップを図る難しさに直面している。