「まずは堅守」「次は攻撃」はありえない
「堅守+攻撃サッカー」
しばしば、この手のスローガンやメディア評価を目にする。守りを固めることができたから、次はより攻撃的に!――そうした強化の発想だろうか。
しかし残念ながら、実現できる可能性は乏しい。
サッカーは、大きな意味でのアイデアとビジョン、そして緻密で詳細なトレーニングによって成り立っている。
例えば、人海戦術で守り通し、カウンター一発、もしくはセットプレーで勝ちを拾っていたチームが、都合良く、「攻撃サッカーを採り入れる」というのは理論上、あり得ない。
しばしば、この手のスローガンやメディア評価を目にする。守りを固めることができたから、次はより攻撃的に!――そうした強化の発想だろうか。
しかし残念ながら、実現できる可能性は乏しい。
サッカーは、大きな意味でのアイデアとビジョン、そして緻密で詳細なトレーニングによって成り立っている。
例えば、人海戦術で守り通し、カウンター一発、もしくはセットプレーで勝ちを拾っていたチームが、都合良く、「攻撃サッカーを採り入れる」というのは理論上、あり得ない。
固く守って成功していたのは、それに合ったプレーを得意とする選手がいたからこそ可能だった。その選手たちに、「次は少し攻撃に」と伝えても、笛吹けど踊らない。ボリュームのようにひねって調整するものではないのだ。
たとえ、そのチームに攻撃的で技術のある選手を補強したとしても、不具合は起きる。それは、水と油のように混ざらない。多くの場合、全体のバランスは失われる。結果、立ち戻るプレーモデルさえもなくしてしまうのだ。
サッカーという競技は、守備の次に攻撃、と段階を踏むものではない。攻撃している時には、必ず守備の準備が必要で、守備をしている時には同じく、必ず攻撃の準備が必要になる。
準備とは、ポジショニングであったり、サポートの角度であったり、心理的な面もそのひとつだろう。そのクオリティーを、毎日のトレーニングのなかで高めていく――。それが、強化の本質だ。
サッカーは他の競技以上に、止まらずに流れる動きのなか、コンビネーションの練度の高さがアドバンテージを生む。それは攻撃でも、守備でも、同じことが言える。あうんの呼吸があれば、相手の先手を取れるし、後手に回らない。補完関係を築くことによって、優位を保てるのだ。
優れた指導者は、その精度をトレーニングによって高められる。それは、「まずは堅守」であるとか「次は攻撃」であるとか、あるいはその逆でもない。順序ではないのだ。