ロシツキ、シャヒンらとドルトムントで躍動
ダビド・オドンコール(FW/元ドイツ代表)
■生年月日/1984年2月21日
■身長・体重/172センチ・74キロ
ダビド・オドンコールは一芸に秀でるウインガーだった。目を見張るようなスピードで右サイドをぶち破り、シンプルなクロスで決定機を演出する。トラップやボールコントロールは雑で、左足の技術もいまひとつ。得点力にも乏しく、現代のサッカー界なら「逸材」として持て囃されることはなかったかもしれない。
ガーナ人の父とドイツ人の母に育てられたサッカー好きの少年は、18歳の誕生日を迎えた直後の2002年3月、ドルトムントでブンデスリーガ・デビューを果たす。レバークーゼン、バイエルンと熾烈な首位争いを演じている状況下で、当時のマティアス・ザマー監督から抜擢を受けた。
【PHOTO】海外番記者・識者が選んだ「ドイツ代表のレジェンド完全格付けTOP10」を厳選ショットで振り返り!
■生年月日/1984年2月21日
■身長・体重/172センチ・74キロ
ダビド・オドンコールは一芸に秀でるウインガーだった。目を見張るようなスピードで右サイドをぶち破り、シンプルなクロスで決定機を演出する。トラップやボールコントロールは雑で、左足の技術もいまひとつ。得点力にも乏しく、現代のサッカー界なら「逸材」として持て囃されることはなかったかもしれない。
ガーナ人の父とドイツ人の母に育てられたサッカー好きの少年は、18歳の誕生日を迎えた直後の2002年3月、ドルトムントでブンデスリーガ・デビューを果たす。レバークーゼン、バイエルンと熾烈な首位争いを演じている状況下で、当時のマティアス・ザマー監督から抜擢を受けた。
【PHOTO】海外番記者・識者が選んだ「ドイツ代表のレジェンド完全格付けTOP10」を厳選ショットで振り返り!
だが、チームの分厚い選手層に阻まれ、デビューシーズンと2年目で計8試合の出場に終わる。続く2003-2004シーズンは25試合に出場したものの、スーパーサブとしての起用が大半で、先発の機会はたった5回しかなかった。
飛躍を遂げたのは05-06シーズン。開幕当初は控え要員に過ぎなかったが、CFヤン・コラーの負傷離脱後にチャンスを掴む。エビ・スモラレクがCFに移ったことで空いた右ウイングのレギュラーに収まったのだ。
そして、トマーシュ・ロシツキやヌリ・シャヒンらパサーに恵まれた快足アタッカーは、水を得た魚のように躍動。いずれもキャリアハイの33試合出場と5アシストをマークした。
その直後に最大のハイライトが訪れる。それまで招集歴ゼロにもかかわらず、自国開催のワールドカップに臨むメンバーにサプライズ選出されたのである。
それだけではない。苦戦を強いられたグループリーグ2戦目のポーランド戦で途中出場し、オリバー・ノイビルによるアディショナルタイムの決勝点を好アシスト。そう、右サイド深くのスペースに飛び出し、クロスを送る十八番のプレーで大仕事をやってのけたのだ。オドンコールの名は一夜にして世界中に知れ渡った。
飛躍を遂げたのは05-06シーズン。開幕当初は控え要員に過ぎなかったが、CFヤン・コラーの負傷離脱後にチャンスを掴む。エビ・スモラレクがCFに移ったことで空いた右ウイングのレギュラーに収まったのだ。
そして、トマーシュ・ロシツキやヌリ・シャヒンらパサーに恵まれた快足アタッカーは、水を得た魚のように躍動。いずれもキャリアハイの33試合出場と5アシストをマークした。
その直後に最大のハイライトが訪れる。それまで招集歴ゼロにもかかわらず、自国開催のワールドカップに臨むメンバーにサプライズ選出されたのである。
それだけではない。苦戦を強いられたグループリーグ2戦目のポーランド戦で途中出場し、オリバー・ノイビルによるアディショナルタイムの決勝点を好アシスト。そう、右サイド深くのスペースに飛び出し、クロスを送る十八番のプレーで大仕事をやってのけたのだ。オドンコールの名は一夜にして世界中に知れ渡った。