なにも考えてないけど、監督はやってみたいって思う。真正面から挑む勝負事を、ね。
新たな金字塔となったJ1最多出場記録はこれから先、そう容易くは破られないだろう。
かたや、ヤットが誇るもうひとつの偉大な最多記録はどうだろうか。日本代表での国際Aマッチ出場152試合は、2位タイで並ぶ長友佑都、井原正巳の122試合を30試合も上回るダントツの数値だ。現在33歳のダイナモ・長友がはたして追いつけるかどうか。
記録保持者の予測やいかに!?
「俺の記録を抜く可能性があるとしたら、冨安(健洋)くんが行けるんじゃないかな。あとは久保くんもあるかも。俺が22歳からスタートした記録だってことを考えても、彼らが15年間まるまる代表で出続けたら十分にあるでしょ。
でもいまは代表の試合数自体が減ったからね。まあ俺の記録を抜いたらすごい。抜かれて悔しいとかっていうより、純粋に『おおすごいな』って思うだろうね。だいたいこういう記録っていうのは、地味にコツコツやっている選手が達成するのよ。スターやフォワードじゃなくてね。影の存在なんだけど、いつの間にか来てたねって選手が、更新するんじゃないかな」
そんな鉄人も、いつかスパイクを脱ぐ日はやってくる。引退後のキャリアについては、現時点でどんな青写真を思い描いているのか。
「なにも考えてないけど、監督はやってみたいって思う。まあでもライセンス制度のところが……。まだなにも(どのライセンスも)取ってないからね。引退してすぐに監督をやっているシャビにようにならんかなと。いずれにせよ、真正面から挑む勝負事をしたいよね」
かたや、ヤットが誇るもうひとつの偉大な最多記録はどうだろうか。日本代表での国際Aマッチ出場152試合は、2位タイで並ぶ長友佑都、井原正巳の122試合を30試合も上回るダントツの数値だ。現在33歳のダイナモ・長友がはたして追いつけるかどうか。
記録保持者の予測やいかに!?
「俺の記録を抜く可能性があるとしたら、冨安(健洋)くんが行けるんじゃないかな。あとは久保くんもあるかも。俺が22歳からスタートした記録だってことを考えても、彼らが15年間まるまる代表で出続けたら十分にあるでしょ。
でもいまは代表の試合数自体が減ったからね。まあ俺の記録を抜いたらすごい。抜かれて悔しいとかっていうより、純粋に『おおすごいな』って思うだろうね。だいたいこういう記録っていうのは、地味にコツコツやっている選手が達成するのよ。スターやフォワードじゃなくてね。影の存在なんだけど、いつの間にか来てたねって選手が、更新するんじゃないかな」
そんな鉄人も、いつかスパイクを脱ぐ日はやってくる。引退後のキャリアについては、現時点でどんな青写真を思い描いているのか。
「なにも考えてないけど、監督はやってみたいって思う。まあでもライセンス制度のところが……。まだなにも(どのライセンスも)取ってないからね。引退してすぐに監督をやっているシャビにようにならんかなと。いずれにせよ、真正面から挑む勝負事をしたいよね」
ヤットには、ささやかな夢がある。現在中3の長男と、いつか同じプロのピッチに立つという夢だ。
「Jリーグでいままでおらんからね。兄弟や双子はあっても、親子はさすがにないでしょ?(笑) 一緒にピッチに立てればいいよね。対戦相手でもいいし、J2でもJ3でも。そこがモチベーションになってるわけじゃないけど、そうなったらいいかなってくらい。
息子とはサッカーの話はほとんどしないし、観に行ったりもしてない。最初は点取り屋っぽかったけど、最近は俺に寄ってきたのかな。なんにせよ、息子には楽しく、目標を持ってサッカーをやってほしい。それだけだよ。俺はなんとかあと3~4年、頑張っていければ……」
高1の頃から、遠藤保仁を取材してきた。やはり外野からすれば、心残りは五輪の檜舞台に立てなかった悲運だ。シドニー大会はバックアップメンバーで、オーバーエイジ枠での出場が見込まれていた北京大会は病気を患って招集を辞退した。華々しいキャリアにぽっかりとあいた空洞である。
1年の延期が決まった東京五輪に向けては──。訊いたあとで、くだらない質問をしたと後悔した。
「五輪? もちろん狙ってますよ! あれだけは出たことないから、出たい気持ちは強いよね。まあでも……、ないでしょ(笑)。個人的には若手だけで行けばいいと思う。俺はいずれ、スタッフで行ける日が来るかもしれんから、そのときまで楽しみに取っておきますよ」
どこまでも心優しい、サービス精神旺盛な男である。
取材・文●川原崇(サッカーダイジェスト統括部長)
※文中敬称略。「サッカーダイジェスト」7月31日号より転載。
「Jリーグでいままでおらんからね。兄弟や双子はあっても、親子はさすがにないでしょ?(笑) 一緒にピッチに立てればいいよね。対戦相手でもいいし、J2でもJ3でも。そこがモチベーションになってるわけじゃないけど、そうなったらいいかなってくらい。
息子とはサッカーの話はほとんどしないし、観に行ったりもしてない。最初は点取り屋っぽかったけど、最近は俺に寄ってきたのかな。なんにせよ、息子には楽しく、目標を持ってサッカーをやってほしい。それだけだよ。俺はなんとかあと3~4年、頑張っていければ……」
高1の頃から、遠藤保仁を取材してきた。やはり外野からすれば、心残りは五輪の檜舞台に立てなかった悲運だ。シドニー大会はバックアップメンバーで、オーバーエイジ枠での出場が見込まれていた北京大会は病気を患って招集を辞退した。華々しいキャリアにぽっかりとあいた空洞である。
1年の延期が決まった東京五輪に向けては──。訊いたあとで、くだらない質問をしたと後悔した。
「五輪? もちろん狙ってますよ! あれだけは出たことないから、出たい気持ちは強いよね。まあでも……、ないでしょ(笑)。個人的には若手だけで行けばいいと思う。俺はいずれ、スタッフで行ける日が来るかもしれんから、そのときまで楽しみに取っておきますよ」
どこまでも心優しい、サービス精神旺盛な男である。
取材・文●川原崇(サッカーダイジェスト統括部長)
※文中敬称略。「サッカーダイジェスト」7月31日号より転載。