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「脳はね、進化できる」遠藤保仁が語り明かす流儀、哲学、そして真髄。【独占・全文公開】

カテゴリ:Jリーグ

川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)

2020年07月23日

代表でもがいてるとか、トップだからこその話でしょ。幸せだなぁってつくづく思う。

水曜日のJ1第6節・広島戦では4試合ぶりに先発復帰。チームの3連勝に貢献を果たした。写真:田中研治

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 J1通算&キャリア通算の大記録において、偉大な第一歩がしるされたのが1998年の春だった。鹿児島実高から横浜フリューゲルスに加入したルーキーが、いきなりJ開幕戦でスタメン出場を飾ったのだ。
 
 いまでも、顛末や当日の雰囲気などすべてを鮮明に記憶している。

「個人としては最高のスタートを切れた。パフォーマンスはさておき、フリューゲルスも相手のマリノスのメンバーも最高やったよね。シーズンの開幕戦が新横(横浜国際総合競技場)のこけら落としで満員。しかも横浜ダービー。これ以上の経験はないやろうって試合を最初に経験できた。余裕じゃないけど、その後の気持ちの楽さってのはあったと思う。それは、確実にあったよね」

 まったく緊張はしなかったという。抜擢登用も想定内だったようだ。

「監督(カルロス・レシャック)がああいう人だったんで、日本人の監督ならあそこまで若手を抜擢しなかったかもしれない。プレシーズンでスペインに遠征して、ある程度やれるかなって手応えが自分のなかにはあった。監督がイメージするスタイルにも合うなって。開幕戦の1週間くらい前から『もしかしたら出れるんちゃう?』と感じてたから、心の準備はできていたかもしれない」

 大した18歳である。やはり当時から緊張という言葉とは無縁だったようだ。

「サッカーで緊張ってのは……ないよね。むしろ車の免許を取るときの筆記試験のほうが緊張した。ちょうど移籍で横浜から京都に引っ越す間際で、ここしかない一発勝負。絶対に受からなアカンと思ってたから、あれがこれまでで一番緊張したんじゃないかな」

 持って生まれた冷静沈着な性格、何事にも動じないスタンスがなせる業なのか。

「それもあるやろうけど、小さい頃からキャプテンのスピーチとかあって、実はそれなりに鍛えられてたからかもね。積み重ねがあったんかなと思う。鹿実時代でも、大勢の親御さんの前でちゃんと話さなきゃいけないとか、気構えのところ。上手くこなせばいいんやろ、ってどこかで割り切れるようになった。性格だけじゃないよ」

 では、現在40歳のヤットがプロデビュー目前の18歳だった自分に声をかけるとしたら、どんなメッセージを届けるだろうか。

「なんやろ。あれこれは言わない。そのまま行け、だけかな。あとは『海外にも行けるかもよ』くらいは囁くかもしれない」

 
 この鉄人を語るうえで欠かせないひとつのキーワードが、コンシステンシー(継続性)である。

 横浜F、京都パープルサンガ、そしてガンバで刻んだ22年間のクラブキャリアにおいて、そのほとんどで主軸を担ってきた。チーム内での競争、自身のコンディション、代表との行き来、指揮官との関係、試合に向けた準備など、さまざまな要素が複雑に絡むなかで、常に水準以上のパフォーマンスを保証してきたのである。

 支えた原動力はなんだったのか。問いかけるとヤットは「特にはないよ、ほんとに。試合に出たいっていう強い気持ちだけ」と答えた。そして「コンディションを整えて、チームメイトに負けないように頑張る。そこが基本かな」と話すのみである。

 薫陶を受けた監督たちとも常に良好な距離感を維持した。「フィジコを含めて、対立したりとかはいっさいなかった。意見を言うことはあっても、監督の構想から外れるとかがなかったから、それはありがたかったよね」と振り返る。

 一方、日本代表でのキャリアは波瀾万丈だった。

 シドニー五輪本大会はバックアップメンバーとして帯同を命じられ、練習でボールも蹴らせてもらえない苦渋の経験をした。2006年のドイツ・ワールドカップでは大会登録されたフィールドプレーヤーのなかで唯一出場を果たせず、14年のブラジル・ワールドカップでも大会中にベンチ行きを告げられた。
 
 もちろん二度のアジアカップ優勝や10年南アフリカ・ワールドカップでのきらりと輝く活躍もあったが、歩んできたプロキャリアは、かならずしも順風満帆だったわけではない。

「いろいろあったよねぇ。印象深いのはやっぱりジーコジャパンかな。試合に出てても海外組が来ればポジションを奪われる。そういう空気がなんとなくあった。実力主義でね。同じポジションで勝とうにも、海外組とは(リーグ戦で)戦えないからね。ポジションを争ってたフク(福西崇史)さん、ミツオ(小笠原満男)、コウジ(中田浩二)とかとは、Jリーグでやり合うなかで『絶対に負けない』『個人のパフォーマンスで上回るぞ』ってのはアピールとしてできたけど。

 ひとつの反抗やね。勝ってるやん、って自分では思ってた。シドニーのときもそうやったけど、俺にできるのはガンバに戻って良いパフォーマンスを見せるだけ、それしかないって。代表で出れたり出れなかったり、チャンス待ちだったとき、そういう気持ちを強く持たされたのは間違いなかった」

 かといって、挫折のように感じた瞬間は一度もなかったという。

「幸せなことをしてるなぁ、ってつくづく思うよ。だって、サッカーでメシが食えてるんだから。ほかの仕事じゃない、サッカーでだよ。自分はどんだけ幸せな位置にいるのかを、ずっと感じながらプレーしてきた。代表でもがいてるとか、言ってみればトップでしか無理な話でしょ。幸せなところでもがいてる。

 昔、カルロス(鹿実時代のブラジル人コーチ)に何度も言われた。俺らは全部、手も足も耳も目も不自由なく使えて、サッカーがやれてる。それだけで幸せやぞって。たしかになぁってずっと思ってやってきた。サッカーしたくてもできない人がいて、運動ができない人だっている。俺の悩みなんて大したことない、幸せなところでの愚痴にすぎないって。試合に出れる出れないの悔しさなんて大したことない、自分の努力次第でなんとでもなるんやと。

 仕事の壁をどんどんぶち破っていかないとダメ。物事を大きく捉えながら、小さいものを開拓していく。サッカーしている時点で幸せ。だから小さいことでグチグチ言うなって感覚は、いまでもある」

 例えば試合後、ヤットにチームメイトのワンプレーについて意見を訊くことがある。たいてい彼は「俺の考えでは」や「合ってるか分からんけど」という文言を頭に付ける。相手を尊重し、決して批判的なアプローチで言葉を紡がない。

「人のこと言ってもしょうがない。だって、同じものが見えてるわけじゃないから。自分の立場で、自分の絵に沿って人のことを言っても、それはただの文句にしかならない。だから俺は若手に対しても、必要最低限のことしか言わない。訊かれたらなんでも話すけど、答を押しつけたりは絶対にしないよね」
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