トップ昇格後は瞬く間にステップアップを遂げる
14年にユースに昇格し、高1の終わりには、トップチームのキャンプへとついに招集される。さらに15年の5月、FCソウル戦でクラブ史上2番目の若さ(16歳11か月11日)でデビューすると、さらに6月の鹿島戦では宇佐美の記録を塗り替え、クラブ史上最年少(16歳11か月18日)でJ1出場を果たした。プロの舞台で実戦経験を積んだ堂安は、より加速度的に成長を遂げていく。
梅津はその高校時代を回想する。
「トップのキャンプに行って、そこから本人のなかでは意識がまた変わったんでしょうね。トップチームでは(長谷川)健太さんやU-23チームの實好(礼忠)さんにも丁寧に育ててもらって」
正式にトップチームに昇格した16年、高3になる頃には、同学年の誰もが驚くほどの逞しさを身につけていた。ユースに在籍していた山下はその頃を強烈に覚えている。
「律は高2の時にACLでデビューしたくらいから、プロにスイッチが切り替わった感じがしましたね。僕らユースチームと律がいるU-23チームが週1くらいでゲームをやっていて、僕は左サイドバックで、右サイドハーフの律とよくマッチアップしていました。僕がボールを奪いに行っても簡単に右手1本で抑えられて簡単にキープされたんですよ。それ以外にも律が自陣からドリブルで4、5人をごぼう抜きしてゴールを決めてしまった時もありました。身体の強さが全然違って、スピードも高校生とはかけ離れていた。ユースで一緒にやっていた時とは、もう別人みたいで、『こんなに成長してんねや』ってビックリしました」
そこから堂安は一段飛ばしどころか、もはや二段、三段飛ばしでステップアップを遂げていく。17年にはトップチームで存在感を高めると、5月に韓国で開かれたU-20ワールドカップでの4試合・3得点という活躍を機に6月にオランダのフローニンヘンへと移籍。海外挑戦1年目から9得点・4アシストの成績を残し、サポーターが選ぶ年間最優秀選手に輝いた。19年にはオランダの強豪PSVへと活躍の場を移し、昨季はドイツのビーレフェルトでチームトップタイの5得点。その間、18年8月からはA代表でも常連となった。
どこへ行ってもチームの中心となり、瞬く間に飛躍を遂げられたのは元来の性格のおかげだ。オランダでの1年目を終えた堂安は言っていた。
「最初は日本人だというだけで見下されていましたけど、そんな逆境も撥ね返してやろうと力に変えました。もともとの負けず嫌いの性格は、より強くなった気がしますね。やっぱり点を取ってからは周囲に認められてきて、チームを勝たせたことでみんなが僕を必要としてくれた。その後もまた決定的な仕事を重ねるうちに、チームに『律がなんとかしてくれる』という雰囲気が出てきました」
梅津はその高校時代を回想する。
「トップのキャンプに行って、そこから本人のなかでは意識がまた変わったんでしょうね。トップチームでは(長谷川)健太さんやU-23チームの實好(礼忠)さんにも丁寧に育ててもらって」
正式にトップチームに昇格した16年、高3になる頃には、同学年の誰もが驚くほどの逞しさを身につけていた。ユースに在籍していた山下はその頃を強烈に覚えている。
「律は高2の時にACLでデビューしたくらいから、プロにスイッチが切り替わった感じがしましたね。僕らユースチームと律がいるU-23チームが週1くらいでゲームをやっていて、僕は左サイドバックで、右サイドハーフの律とよくマッチアップしていました。僕がボールを奪いに行っても簡単に右手1本で抑えられて簡単にキープされたんですよ。それ以外にも律が自陣からドリブルで4、5人をごぼう抜きしてゴールを決めてしまった時もありました。身体の強さが全然違って、スピードも高校生とはかけ離れていた。ユースで一緒にやっていた時とは、もう別人みたいで、『こんなに成長してんねや』ってビックリしました」
そこから堂安は一段飛ばしどころか、もはや二段、三段飛ばしでステップアップを遂げていく。17年にはトップチームで存在感を高めると、5月に韓国で開かれたU-20ワールドカップでの4試合・3得点という活躍を機に6月にオランダのフローニンヘンへと移籍。海外挑戦1年目から9得点・4アシストの成績を残し、サポーターが選ぶ年間最優秀選手に輝いた。19年にはオランダの強豪PSVへと活躍の場を移し、昨季はドイツのビーレフェルトでチームトップタイの5得点。その間、18年8月からはA代表でも常連となった。
どこへ行ってもチームの中心となり、瞬く間に飛躍を遂げられたのは元来の性格のおかげだ。オランダでの1年目を終えた堂安は言っていた。
「最初は日本人だというだけで見下されていましたけど、そんな逆境も撥ね返してやろうと力に変えました。もともとの負けず嫌いの性格は、より強くなった気がしますね。やっぱり点を取ってからは周囲に認められてきて、チームを勝たせたことでみんなが僕を必要としてくれた。その後もまた決定的な仕事を重ねるうちに、チームに『律がなんとかしてくれる』という雰囲気が出てきました」
今も昔も変わらない鼻っ柱の強さこそが、スター気質の根源だ。幼少期からずっと近くで見てきた西田は、「今でもライバルだと思っている」という親友を以下のように評する。
「アイツは自分のことを不安症だって言うんです。だから努力ができるんだって。おそらく人の知らないところで悩んだり苦しんだりもしているはずだけど、そういうのを力に変えられるメンタルを持っているのがアイツの一番凄いところなんです。だからこそ一緒にプレーしている僕らは思えるんですよ、相手がどんなに強くても律がいれば大丈夫だって」
金メダルを目指して臨む東京五輪では、苦しい展開が必ず待っているだろう。それでもどんな苦境も乗り越えられる。なぜなら、「律がなんとかしてくれる」はずだから。
取材・文●多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)
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