救世主は突然に――
東京五輪で悲願の金メダル獲得を期す、選ばれし22人。全世界注目の戦いに挑む彼らは、この大舞台に辿り着くまでどんなキャリアを歩んできたのか。
7月8日発売の『サッカーダイジェスト』では、「ルーツ探訪」と題した特集を企画。恩師らの証言から読み解く、一人ひとりの成長物語を掲載している。
今回ピックアップするのは、東京五輪で「10番」を背負うレフティだ。
幼少期から不思議と周囲の人を惹きつける魅力があった少年は、どのチームにいっても輪の中心にいた。いまやA代表の常連。オランダやドイツのクラブでも存在感を放ち、根っからのスター気質である堂安律の「ルーツ」を紹介していく。
【五輪代表PHOTO】ヨドコウ桜スタジアムに駆けつけた日本代表サポーターを特集!
――◆――◆――
「まさに救世主でした」
西宮少年サッカースクール(以下西宮SS)を率いていた早野潤は、教え子のひとりを懐かしそうに振り返る。
西宮SSは毎年、全国大会出場を目指してチーム作りを進めていた。最大の目標は6年生が主体となって出場する全日本少年サッカー大会だ。しかし当時3年生のチームに衝撃が走る。FW、MF、DFのセンターライン3人が一気に退団してしまったのだ。「来る者拒まず、去る者追わず」のスタンスだった早野も、さすがにチームの屋台骨を抜かれる事態に頭を抱えていた。
そんなチームを救ったのが、彗星の如く現れたひとりの少年だった。
2007年、宝塚市主催の小さな大会でのこと。抜けた3人と同じく3年生だった少年は、チームに初めて参加するとあって少し緊張気味だった。その少年に、早野は声をかけた。
「スパイクは持ってきているね」
「はい」
「いきなりフルで出てもうらうけど、いけるかな」
「大丈夫です」
大会当日にメンバーを追加し、出場できる手筈を整えた。以前は隣町のチームに在籍していたその子の噂を耳にしたことがあったから、果たしてその実力はいかほどなのか、早野はその目で確かめたかった。
しかしその少年は、早野の予想を遥かに上回るプレーを見せる。
「いやはや驚きましたね。他の子たちとはフットワークやドリブルのテクニックがまるで違いました。ボールを持てば、あっという間に3人、4人とかわしていってゴールを奪ってしまう。初参加のその大会でいきなりMVPと得点王になったんです。これは凄い子が来たぞと」
7月8日発売の『サッカーダイジェスト』では、「ルーツ探訪」と題した特集を企画。恩師らの証言から読み解く、一人ひとりの成長物語を掲載している。
今回ピックアップするのは、東京五輪で「10番」を背負うレフティだ。
幼少期から不思議と周囲の人を惹きつける魅力があった少年は、どのチームにいっても輪の中心にいた。いまやA代表の常連。オランダやドイツのクラブでも存在感を放ち、根っからのスター気質である堂安律の「ルーツ」を紹介していく。
【五輪代表PHOTO】ヨドコウ桜スタジアムに駆けつけた日本代表サポーターを特集!
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「まさに救世主でした」
西宮少年サッカースクール(以下西宮SS)を率いていた早野潤は、教え子のひとりを懐かしそうに振り返る。
西宮SSは毎年、全国大会出場を目指してチーム作りを進めていた。最大の目標は6年生が主体となって出場する全日本少年サッカー大会だ。しかし当時3年生のチームに衝撃が走る。FW、MF、DFのセンターライン3人が一気に退団してしまったのだ。「来る者拒まず、去る者追わず」のスタンスだった早野も、さすがにチームの屋台骨を抜かれる事態に頭を抱えていた。
そんなチームを救ったのが、彗星の如く現れたひとりの少年だった。
2007年、宝塚市主催の小さな大会でのこと。抜けた3人と同じく3年生だった少年は、チームに初めて参加するとあって少し緊張気味だった。その少年に、早野は声をかけた。
「スパイクは持ってきているね」
「はい」
「いきなりフルで出てもうらうけど、いけるかな」
「大丈夫です」
大会当日にメンバーを追加し、出場できる手筈を整えた。以前は隣町のチームに在籍していたその子の噂を耳にしたことがあったから、果たしてその実力はいかほどなのか、早野はその目で確かめたかった。
しかしその少年は、早野の予想を遥かに上回るプレーを見せる。
「いやはや驚きましたね。他の子たちとはフットワークやドリブルのテクニックがまるで違いました。ボールを持てば、あっという間に3人、4人とかわしていってゴールを奪ってしまう。初参加のその大会でいきなりMVPと得点王になったんです。これは凄い子が来たぞと」
◆ ◆ ◆
誰もが口を揃えて言う。
「とにかく負けん気が強い。でも明るくて、人を惹きつける魅力がある」
兵庫県尼崎市で生を受けた堂安律は、8歳上の・麿(まろ)、3歳上の憂(ゆう)に次ぐ3兄弟の末っ子として生まれ、厳格な両親の下で育てられた。
「あの負けず嫌いは元からですね。ご両親がすごくパワフルでしたし、兄ふたりにも色々と叩き込まれたから勝気に育ったんでしょう。兄弟喧嘩をして泣かされると、逆に兄を泣かし返しに行くような子でした」
そう笑いながら話すのは、3兄弟が幼少期に在籍した浦風FCで当時コーチを務めていた田村将行(現・代表)だ。
堂安がサッカーに触れたのは3歳の時。兄ふたりの練習について行くのが大好きだった。田村は続けて記憶を呼び起こす。
「いつも母親に連れられてふたりの兄と一緒に来ましてね。練習場の隅でよくボールを蹴って遊んでいたんですよ。年上のお兄ちゃんたちが構ってくれるから楽しかったんでしょう。みんなが『上手だね』って褒めてくれるしね。でも当時から本当に上手かったですよ。インサイドキックを綺麗に蹴れていましたから。たいていの子は足を開けなくてできないんですけどね。そう考えると当時から何か違う感じはありましたね」
4歳から浦風FCの練習に参加すると、小学校入学と同時にメンバーに正式に登録された頃には、その上手さはすでに際立っていた。
「当時はフォワードをやらせていて、2年生か3年生かの大会でディフェンダーを全員抜いて最後はゴールキーパーもあっさりかわしてゴールを決めてしまった。足も速いし、ドリブルも上手い。まるでマラドーナみたいでした」(田村)
堂安の才能が伸び伸びと育っていったのは、浦風FC独自の練習環境がある。
「うちはあまり素走りをさせず、ゲーム中心のメニューでした。律くんがボールを持った時には自由にやらせていましたね。高学年に混ざっても、ドリブルとパスを上手く使い分けて、子ども離れしたプレーをしていました。あと身体は小さいけど当たり負けしなかった。兄貴によく鍛えられたんじゃないですかね」
練習時間以外でも、兄ふたりと近所の小田南公園に行っては、ボールを追いかけていた。とにかくサッカー漬けの毎日だった。
誰もが口を揃えて言う。
「とにかく負けん気が強い。でも明るくて、人を惹きつける魅力がある」
兵庫県尼崎市で生を受けた堂安律は、8歳上の・麿(まろ)、3歳上の憂(ゆう)に次ぐ3兄弟の末っ子として生まれ、厳格な両親の下で育てられた。
「あの負けず嫌いは元からですね。ご両親がすごくパワフルでしたし、兄ふたりにも色々と叩き込まれたから勝気に育ったんでしょう。兄弟喧嘩をして泣かされると、逆に兄を泣かし返しに行くような子でした」
そう笑いながら話すのは、3兄弟が幼少期に在籍した浦風FCで当時コーチを務めていた田村将行(現・代表)だ。
堂安がサッカーに触れたのは3歳の時。兄ふたりの練習について行くのが大好きだった。田村は続けて記憶を呼び起こす。
「いつも母親に連れられてふたりの兄と一緒に来ましてね。練習場の隅でよくボールを蹴って遊んでいたんですよ。年上のお兄ちゃんたちが構ってくれるから楽しかったんでしょう。みんなが『上手だね』って褒めてくれるしね。でも当時から本当に上手かったですよ。インサイドキックを綺麗に蹴れていましたから。たいていの子は足を開けなくてできないんですけどね。そう考えると当時から何か違う感じはありましたね」
4歳から浦風FCの練習に参加すると、小学校入学と同時にメンバーに正式に登録された頃には、その上手さはすでに際立っていた。
「当時はフォワードをやらせていて、2年生か3年生かの大会でディフェンダーを全員抜いて最後はゴールキーパーもあっさりかわしてゴールを決めてしまった。足も速いし、ドリブルも上手い。まるでマラドーナみたいでした」(田村)
堂安の才能が伸び伸びと育っていったのは、浦風FC独自の練習環境がある。
「うちはあまり素走りをさせず、ゲーム中心のメニューでした。律くんがボールを持った時には自由にやらせていましたね。高学年に混ざっても、ドリブルとパスを上手く使い分けて、子ども離れしたプレーをしていました。あと身体は小さいけど当たり負けしなかった。兄貴によく鍛えられたんじゃないですかね」
練習時間以外でも、兄ふたりと近所の小田南公園に行っては、ボールを追いかけていた。とにかくサッカー漬けの毎日だった。