ヤットとミツオはすごい! 俺ももっとやらんとね。
眼光は全盛時と同様に鋭く、背筋をピンと伸ばして話すあたりも昔のまま。少し難しい質問をした時に、「あー」と高めのトーンで一声を上げてから答えるのも、変わっていない。ただ若い頃より、だんぜん笑顔が増えただろうか。もともと人間味溢れるキャラの持ち主だが、より磨きがかかった印象を受ける。
いま一度、黄金世代への想いを聞いておこう。
「やっぱりすごい刺激になってますよ。ライバルやね。37歳、38歳になっても現役がいっぱいいますからね。お互いに意識しているからやと思うし、絆みたいなのは間違いなくあるんやけど、負けたくないって気持ちを各々が持ってる。
ヤット(遠藤保仁)とミツオ(小笠原満男)のふたりはすごい! 優勝争いをしているチームで、主力で出てるわけやから。もちろん長く同じチームでやってるからというのはあるにしても、やはりそこは彼らが培ってきた確固たるものが大前提にあるわけで。純粋に羨ましいし、同じ舞台に立ちたいなって思う。俺ももっとやらないとね」
9月16日、J1リーグ第26節のヴィッセル神戸戦で、稲本は今季初のベンチ入りを果たした。出場すれば469日ぶりで、J1となると実に1015日ぶりだ。
残念ながら出場はお預けとなったが、残留争いの渦中にあるコンサにとって、その本格復帰は大きな刺激となるはずだ。決して前がかりにならず、出しゃばりもしないが、そこにいるだけでチーム、さらにはサポーターをも奮い立たせる。小野伸二とはまた違うカリスマ性を持つ、稀有なフットボーラーなのである。
中盤の底から颯爽と攻め上がる名ボランチの雄姿を、誰もが心待ちにしている。
<了>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
【稲本潤一PHOTO】語り継がれるべきキャリアを厳選フォトで 1995-2017
───◆───◆───
PROFILE
いなもと・じゅんいち/1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。自宅近くの青英学園SCで5歳から本格的にサッカーを始め、小6までFWや攻撃的MFでプレー。地域選抜に選ばれるなど頭角を現わし、G大阪の誘いを受けて、ジュニアユースチームの第1期生となる。やがてボランチにコンバートされて才能が一気に開花。クラブユース界の横綱として全国にその名を轟かせ、高3でJデビューを飾るなど時代の寵児となる。2001年から活躍の場をプレミアリーグに移すと、アーセナル、フルアム、WBA(半年間はカーディフにレンタル移籍)でプレーし、その後はトルコ、ドイツ、フランスを渡り歩いた。2010年に川崎へ移籍し、日本に帰還。現在、札幌で3シーズン目を戦っている。世代別代表ではエリート街道を突き進んだ。U-17世界選手権、ワールドユース、シドニー五輪と3つの世界大会すべてにエントリーし、2000年2月には21歳でA代表に初招集。02年、06年、10年と3度のワールドカップを戦った。日本代表通算/82試合出場・5得点。Jリーグ通算/256試合・20得点(J1は217試合・19得点)。181㌢・77㌔。O型。データはすべて2017年9月18日現在。
いま一度、黄金世代への想いを聞いておこう。
「やっぱりすごい刺激になってますよ。ライバルやね。37歳、38歳になっても現役がいっぱいいますからね。お互いに意識しているからやと思うし、絆みたいなのは間違いなくあるんやけど、負けたくないって気持ちを各々が持ってる。
ヤット(遠藤保仁)とミツオ(小笠原満男)のふたりはすごい! 優勝争いをしているチームで、主力で出てるわけやから。もちろん長く同じチームでやってるからというのはあるにしても、やはりそこは彼らが培ってきた確固たるものが大前提にあるわけで。純粋に羨ましいし、同じ舞台に立ちたいなって思う。俺ももっとやらないとね」
9月16日、J1リーグ第26節のヴィッセル神戸戦で、稲本は今季初のベンチ入りを果たした。出場すれば469日ぶりで、J1となると実に1015日ぶりだ。
残念ながら出場はお預けとなったが、残留争いの渦中にあるコンサにとって、その本格復帰は大きな刺激となるはずだ。決して前がかりにならず、出しゃばりもしないが、そこにいるだけでチーム、さらにはサポーターをも奮い立たせる。小野伸二とはまた違うカリスマ性を持つ、稀有なフットボーラーなのである。
中盤の底から颯爽と攻め上がる名ボランチの雄姿を、誰もが心待ちにしている。
<了>
取材・文:川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
【稲本潤一PHOTO】語り継がれるべきキャリアを厳選フォトで 1995-2017
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PROFILE
いなもと・じゅんいち/1979年9月18日生まれ、大阪府堺市出身。自宅近くの青英学園SCで5歳から本格的にサッカーを始め、小6までFWや攻撃的MFでプレー。地域選抜に選ばれるなど頭角を現わし、G大阪の誘いを受けて、ジュニアユースチームの第1期生となる。やがてボランチにコンバートされて才能が一気に開花。クラブユース界の横綱として全国にその名を轟かせ、高3でJデビューを飾るなど時代の寵児となる。2001年から活躍の場をプレミアリーグに移すと、アーセナル、フルアム、WBA(半年間はカーディフにレンタル移籍)でプレーし、その後はトルコ、ドイツ、フランスを渡り歩いた。2010年に川崎へ移籍し、日本に帰還。現在、札幌で3シーズン目を戦っている。世代別代表ではエリート街道を突き進んだ。U-17世界選手権、ワールドユース、シドニー五輪と3つの世界大会すべてにエントリーし、2000年2月には21歳でA代表に初招集。02年、06年、10年と3度のワールドカップを戦った。日本代表通算/82試合出場・5得点。Jリーグ通算/256試合・20得点(J1は217試合・19得点)。181㌢・77㌔。O型。データはすべて2017年9月18日現在。