訪れた転機。欲を捨て、J2得点王へ。
そんな大世に、転機が訪れた。
「2013年末に結婚して、2014年に子どもが生まれたんです。それですべてを変えようと思って。欲深い自分は、子どもが大人になった時、恥じるべき自分だと思って、欲を一切捨てたんです」
強引にシュートを打たなくなった大世は面白い現象を目の当たりにする。FWの自分が積極的にゴールを狙わないのに、チームの得点数が増加したのだ。
大世が守備をして、周りにパスを出すようになったことでチームが機能し、それが結果としてチームメイトのゴールを増やしただけでなく、大世自身にも決定機が巡ってくるようになったのだ。
「ケルン時代に言われたのは、こういうことだったのか、ってようやく気づきましたよ。自分が活躍したいからって好き勝手にやるのは間違っていた。今は得点しても、凄いなんてこれっぽっちも思わないですから」
2015年7月、大世は清水エスパルスに加入し、5年ぶりにJリーグに復帰した。
オレンジのユニホームをまとった大世に、「人間ブルドーザー」と呼ばれた川崎時代の面影はない。
欲深さを捨て去ったからだ。
この時は、歯車の狂ったチームを救えずJ2に降格したが、小林伸二監督を迎えた2016年シーズン、大世は26ゴールを奪ってJ2得点王に輝き、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
圧巻だったのは、シーズン終盤である。7試合連続ゴールを記録し、10月、11月と2か月連続でJ2の月間MVPに選出されたのだ。
「昇格の懸かったシーズン終盤はプレッシャーが半端じゃないわけですよ。その中で結果を出せたのは大きい。弱点を克服できたっていうことです」
達観したように、大世は語る。
「刹那的に生きるのは、もうやめました。点を取るために強引にシュートを打つのではなく、チームのために守備を頑張ることで、結果として自分にボールが回ってくる。つまり、遠回りすることが実は一番の近道で、っていう話です」
大世が手にしたゴールの秘訣は、そのまま彼のサッカー人生を表わしている。2011年から始まるスランプを経験したことで今、理想のストライカー像に近づいてきた。遠回りをしたようでいて、それが実は近道だったのかもしれない。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)
「2013年末に結婚して、2014年に子どもが生まれたんです。それですべてを変えようと思って。欲深い自分は、子どもが大人になった時、恥じるべき自分だと思って、欲を一切捨てたんです」
強引にシュートを打たなくなった大世は面白い現象を目の当たりにする。FWの自分が積極的にゴールを狙わないのに、チームの得点数が増加したのだ。
大世が守備をして、周りにパスを出すようになったことでチームが機能し、それが結果としてチームメイトのゴールを増やしただけでなく、大世自身にも決定機が巡ってくるようになったのだ。
「ケルン時代に言われたのは、こういうことだったのか、ってようやく気づきましたよ。自分が活躍したいからって好き勝手にやるのは間違っていた。今は得点しても、凄いなんてこれっぽっちも思わないですから」
2015年7月、大世は清水エスパルスに加入し、5年ぶりにJリーグに復帰した。
オレンジのユニホームをまとった大世に、「人間ブルドーザー」と呼ばれた川崎時代の面影はない。
欲深さを捨て去ったからだ。
この時は、歯車の狂ったチームを救えずJ2に降格したが、小林伸二監督を迎えた2016年シーズン、大世は26ゴールを奪ってJ2得点王に輝き、1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
圧巻だったのは、シーズン終盤である。7試合連続ゴールを記録し、10月、11月と2か月連続でJ2の月間MVPに選出されたのだ。
「昇格の懸かったシーズン終盤はプレッシャーが半端じゃないわけですよ。その中で結果を出せたのは大きい。弱点を克服できたっていうことです」
達観したように、大世は語る。
「刹那的に生きるのは、もうやめました。点を取るために強引にシュートを打つのではなく、チームのために守備を頑張ることで、結果として自分にボールが回ってくる。つまり、遠回りすることが実は一番の近道で、っていう話です」
大世が手にしたゴールの秘訣は、そのまま彼のサッカー人生を表わしている。2011年から始まるスランプを経験したことで今、理想のストライカー像に近づいてきた。遠回りをしたようでいて、それが実は近道だったのかもしれない。
取材・文:飯尾篤史(スポーツライター)