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【清水】虚勢を張っていた”人間ブルドーザー”。鄭大世がスランプのなかで気づいた本当に大切なものとは?

カテゴリ:Jリーグ

飯尾篤史

2017年01月26日

かねてから憧れていた欧州移籍の実現。しかし、徐々に活躍の場を失っていった。

2010年7月、当時2部のボーフムに加入。チームに素早く馴染むと、リーグ戦でゴールを量産し始めた。(C)Getty Images

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 ウインターブレイクを利用して、大世は日本に帰国した。
 
 ワールドカップに出場し、国家斉唱の際に号泣した姿がメディアで大きく取り上げられたこともあって、大世はちょっとした有名人だった。繁華街に繰り出せば、すれ違う若者から「あ!」といった感じで振り返られた。
 
「それがすごく気持ち良くて、自分でもコントロールが利かないくらい、俺は凄いんだって、調子に乗りましたよね」
 
 この頃、北朝鮮代表は翌年1月7日にカタールで開幕するアジアカップへの出場を決めており、大世もメンバーに選出されていた。
 
 ボーフム側は年明けに一旦ドイツに戻り、練習に参加してから代表に合流するよう指示したが、大世は膝の痛みを理由にその要請を拒んだ。
 
「膝は本当に痛かったんですけど、居心地が良いからギリギリまで日本にいたかったんです。それでドイツに戻らず、直接カタールに向かったんですけど、ボールを使ったトレーニングは2週間ぐらいまったくしてなかったから、身体が全然動かなくて……」
 
 体調不良のままアジアカップに出場した大世は、1ゴールも奪えなかった。エースがこの調子なのだから、北朝鮮代表も無得点で、早期敗退が決まった。
 
「この頃からですね、感覚がおかしくなっていったのは……」
 
 ボーフムに合流した大世は、前半戦の好調がウソのようにゴールから見放された。17、18ゴールと皮算用した得点数は、シーズン後半にわずか2ゴールを積み上げただけ。辛うじてふた桁に乗せたというレベルだった。
 
 翌11-12シーズンは前半戦を終えてわずか4ゴール。ブンデスリーガ1部のケルンに移籍した後半戦は5試合にしか出られず、1点も奪えなかった。
 
 ケルンが降格したため、再び2部でプレーすることになった12-13シーズンの前半戦も5試合しか出番を得られず、やはりノーゴールに終わった。

「とにかくゴールが欲しいから、前を向いたらどんなに遠くても、体勢が悪くても、強引にシュートを打った。そんなシュートが決まるはずはないんですよね。日本にいた頃、僕はシュートの積極性を評価されていた。でもケルンでは、監督から注意されるし、メディアから強欲だと叩かれるし、キャプテンからは『もっとチームのためにプレーしろ』と非難されて、怒りに震えたこともあった」
 
 活躍の場を失った大世は、13年1月にKリーグの水原三星に移籍した。
 
 すでに1年以上、公式戦でゴールを決めてないから、シュート時に必要以上に力が入り、モーションが遅くなり、体勢を崩してしまう。そんなFWに活躍を許すほど、韓国のDFは甘くなかった。
 
「最初の頃は、何もさせてもらえなかった。苦しかったです」
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