佐藤寿人――偉大なストライカーが歩んだ道と愛される理由

カテゴリ:Jリーグ

中野和也

2016年12月02日

寿人と広島の蜜月の日々は、永遠のものだと信じられてきた。

優勝した2012年にはMVPと得点王などを受賞した。写真:小倉直樹(サッカーダイジェスト写真部)

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「寿人は若いふたりへの刺激剤だ」「そのわりには、移籍金が高すぎる」
 
 そんな言葉で揶揄される11番。莫大な移籍金を積んで自分に期待してくれているクラブに対して、重圧は感じていた。だが、その重荷をジャンプ台に変えて飛躍する力もまた、彼の中にはある。それは愛する家族のため、人生を懸けて成功を求めた仙台で成功を収めたように。
 
 9節、小野監督はあえて若いふたりをベンチに下げ、寿人を先発で起用し、2得点で勝利に貢献。だがサポーターはふた桁得点をあげても、寿人をエースとして認めてはいなかった。そんな空気が変わったのは33節の神戸戦。この年2度目のハットトリックを決めた時、サポーターから自然発生的に「君の瞳に恋してる」のチャントが久保竜彦以来3年ぶりにスタジアムを包んだ。この時が、佐藤寿人のエース戴冠式だった。
 
 そこから、広島は佐藤寿人とともに歩むことになる。J2時代も含む12年連続ふた桁得点。J1通算最多得点記録の更新。前人未踏のJ1+J2での200得点達成。ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)史上最多得点記録。2012年にはMVP・得点王・ベストイレブン・フェアプレー個人賞など、あらゆるタイトルを独占。そして3度のリーグ優勝にも大きく貢献した。寿人の幸せは、広島の、そして広島サポーターの幸福と共にあり、それはずっと永遠のものだと信じられてきた。
 
 だが、ここまで綴って、妙に仙台時代と広島時代が重ね合うように見えてきた。
 
 加入当初、仙台ではマルコスや山下芳輝のサブ的な期待感しかなく、「どうせ1年で市原に戻るのでは」という意地悪な見方もあった。それは、2005年の移籍当初の広島の空気とも符合する。
 
 2007年、広島が降格した時、サポーターに向かって「1年で戻ろう」と叫んだその姿も、仙台での降格時に似ていた。違うのはその後のこと。仙台は寿人とともに戻れなかったが、広島は寿人の28得点をJ1復帰に繋げられたということ。
 
 仙台での寿人は間違いなくアイドルであり、ヒーロー。広島での寿人もまた、同様の立場でクラブの顔となった。そして移籍の時。仙台でも広島でも「これほど悩んだことはない」。だが結果として「プロである自分がどうあるべきか」をベースに、新しい環境にチャレンジすることを選んだ。そしてそのチャレンジをサポーターも認め、「いつかは戻ってきてほしい」と願った。

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