会長が明かしたスアレスとバルサの秘話!
――スアレスやネイマールのスーパープレーに興奮する一方で、ペドロ(2015年夏にチェルシー移籍)らの放出に、このままカンテラ路線からスター路線に切り替わってしまうのではという、不安を抱いているファンは少なくないと思いますが。
「それはない。ここに断言するよ。例えば、トリデンテ(3トップ)のひとりであるレオ・メッシは、現在世界ナンバーワンのプレーヤーであり、バルサのカンテラーノだ。彼は13歳のときにバルサにやって来た。これからもカンテラの選手が軸になるのは間違いないだろうね。そしてネイマールは、いま世界で2番目に優れた選手。彼の才能はずいぶん若い頃から際立っていて、世界的にも有名だった。ブラジルのサントスでプレーしていたその若者を、われわれができるだけ早く獲得するために努力をつづけたのは、バルサに移籍してくる選手は、ほぼ例外なく最初の1年を“適応期間”として費やさなければならないから。多くの選手にとって、バルサのプレースタイルは新しいものだからね」
――ネイマールは他の選手に比べると(適応が)早かったですね。
「彼は数少ない例外だよ。ただ、そんなネイマールより早くチームに馴染んだ選手もいた」
――スアレス、ですね!
「そのとおり。なぜ彼があっさりバルサのスタイルに適応できたか。実は、おもしろい話があるんだ。彼は若い頃からバルサでプレーしたがっていた。16歳とか17歳とか、おそらくそのくらいの年齢だっただろう。彼は毎年夏に、ウルグアイからバルセロナに遊びに来て、そのたびに直接クラブに電話をかけてきたんだ。「俺に興味はないかい? バルサでプレーがしたいんだ。獲ってくれないかな?」ってね(笑)。わたしたちが「今年は獲得するよ」という返事を送った2014年まで、彼からの“売り込み”は続いたんだ。それとプライベートな話なんだけど、スアレスの奥さんを知っているかい?
――たしか、ウルグアイ出身の方で、幼い頃からバルセロナに家族と住んでいるんでしたよね?
「ああ、知っているんだね。正確には、カステルデフェルス(訳者・注/バルセロナ郊外の海沿いの町)という場所なんだが、スアレスは、家族の都合でバルセロナに引っ越してしまった彼女に会うために、しょっちゅうウルグアイから遊びに来ていたんだ。そして、そのたびにカンプ・ノウに足を運び、バルサのフットボールを観ていた。ひとりのクレ(バルサ・サポーターの呼称)として多くの試合を見ていたからこそ、彼はバルサのスタイルやスタジアムの雰囲気に、すんなり適応できたというわけなんだよ」
――彼女との愛を育みながら、バルサのスタイルを学んでいたとは。なるほど、彼が半年もかからずに適応できたのには、そういった秘密があったんですね。
「半年どころか、3か月もかからなかったんじゃないかな(笑)」
――ネイマールやスアレスのようなスターを今後も獲得しつづけるには、ライバルとの争奪戦を制していかなければいけません。マンチェスター・シティにチェルシー、パリ・サンジェルマン、マドリー、バイエルンと、敵は少なくありませんが、勝算はありますか?
「そのために努力していくよ。自分自身に厳しい要求を課しながらね。バルサには、その時代を代表する選手を獲得するという、義務のような伝統がある。クライフにはじまり、マラドーナ、シュスター、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ。いまならメッシがそうだ。バルサは、そういった選手に魅力を感じてもらえるクラブだと信じているし、これからもそうであることを信じながら、わたしにできる努力を続けていきたい」
――来シーズンに向けてどんな大物を狙っているのか、教えていただけますか? 都合が悪ければ、掲載はいたしません。(笑)
「ハハハ、オフレコにする必要はないよ。われわれはすでに、来年の補強に向けて動き出している。具体的にあの選手が欲しい、というよりは、補強が必要なポジションを洗い出し、強化担当に働きかけているという感じかな。選手の獲得というのは、わたしたちにとって広義なもので、弱点を補える選手が、例えばバルサBにいないか、あるいは現在レンタルに出している選手で賄えないかというところまでチェックする。あなたたちはフットボールの専門家だ。ルイス・エンリケ監督やロベルト・フェルナンデス(テクニカルディレクター)と、チームについてじっくり話をする機会があれば、きっと同じ結論に辿り着くだろう。その時は掲載を控えてもらえるとありがたいね(笑)」
【PROFILE】
1963年2月6日、バルセロナ出身。2010年に副会長に就任し、サンドロ・ロセイ前会長が辞任した14年1月に会長に昇格。「ソシオに選ばれた会長ではない」との批判を受けて実施した15年7月の会長選で勝者となり、正式に会長に就任した。港や空港ターミナル関連のメンテナンスなどを行なうサービスグループ企業、『EFSEQUIPOFACILITY SERVICES』社の代表を務める。
インタビュー:竹田 忍(ワールドサッカーダイジェスト編集部)
通訳:山本美智子
※『ワールドサッカーダイジェスト』2016年1月21日号より加筆・修正
「それはない。ここに断言するよ。例えば、トリデンテ(3トップ)のひとりであるレオ・メッシは、現在世界ナンバーワンのプレーヤーであり、バルサのカンテラーノだ。彼は13歳のときにバルサにやって来た。これからもカンテラの選手が軸になるのは間違いないだろうね。そしてネイマールは、いま世界で2番目に優れた選手。彼の才能はずいぶん若い頃から際立っていて、世界的にも有名だった。ブラジルのサントスでプレーしていたその若者を、われわれができるだけ早く獲得するために努力をつづけたのは、バルサに移籍してくる選手は、ほぼ例外なく最初の1年を“適応期間”として費やさなければならないから。多くの選手にとって、バルサのプレースタイルは新しいものだからね」
――ネイマールは他の選手に比べると(適応が)早かったですね。
「彼は数少ない例外だよ。ただ、そんなネイマールより早くチームに馴染んだ選手もいた」
――スアレス、ですね!
「そのとおり。なぜ彼があっさりバルサのスタイルに適応できたか。実は、おもしろい話があるんだ。彼は若い頃からバルサでプレーしたがっていた。16歳とか17歳とか、おそらくそのくらいの年齢だっただろう。彼は毎年夏に、ウルグアイからバルセロナに遊びに来て、そのたびに直接クラブに電話をかけてきたんだ。「俺に興味はないかい? バルサでプレーがしたいんだ。獲ってくれないかな?」ってね(笑)。わたしたちが「今年は獲得するよ」という返事を送った2014年まで、彼からの“売り込み”は続いたんだ。それとプライベートな話なんだけど、スアレスの奥さんを知っているかい?
――たしか、ウルグアイ出身の方で、幼い頃からバルセロナに家族と住んでいるんでしたよね?
「ああ、知っているんだね。正確には、カステルデフェルス(訳者・注/バルセロナ郊外の海沿いの町)という場所なんだが、スアレスは、家族の都合でバルセロナに引っ越してしまった彼女に会うために、しょっちゅうウルグアイから遊びに来ていたんだ。そして、そのたびにカンプ・ノウに足を運び、バルサのフットボールを観ていた。ひとりのクレ(バルサ・サポーターの呼称)として多くの試合を見ていたからこそ、彼はバルサのスタイルやスタジアムの雰囲気に、すんなり適応できたというわけなんだよ」
――彼女との愛を育みながら、バルサのスタイルを学んでいたとは。なるほど、彼が半年もかからずに適応できたのには、そういった秘密があったんですね。
「半年どころか、3か月もかからなかったんじゃないかな(笑)」
――ネイマールやスアレスのようなスターを今後も獲得しつづけるには、ライバルとの争奪戦を制していかなければいけません。マンチェスター・シティにチェルシー、パリ・サンジェルマン、マドリー、バイエルンと、敵は少なくありませんが、勝算はありますか?
「そのために努力していくよ。自分自身に厳しい要求を課しながらね。バルサには、その時代を代表する選手を獲得するという、義務のような伝統がある。クライフにはじまり、マラドーナ、シュスター、ロマーリオ、ロナウド、ロナウジーニョ。いまならメッシがそうだ。バルサは、そういった選手に魅力を感じてもらえるクラブだと信じているし、これからもそうであることを信じながら、わたしにできる努力を続けていきたい」
――来シーズンに向けてどんな大物を狙っているのか、教えていただけますか? 都合が悪ければ、掲載はいたしません。(笑)
「ハハハ、オフレコにする必要はないよ。われわれはすでに、来年の補強に向けて動き出している。具体的にあの選手が欲しい、というよりは、補強が必要なポジションを洗い出し、強化担当に働きかけているという感じかな。選手の獲得というのは、わたしたちにとって広義なもので、弱点を補える選手が、例えばバルサBにいないか、あるいは現在レンタルに出している選手で賄えないかというところまでチェックする。あなたたちはフットボールの専門家だ。ルイス・エンリケ監督やロベルト・フェルナンデス(テクニカルディレクター)と、チームについてじっくり話をする機会があれば、きっと同じ結論に辿り着くだろう。その時は掲載を控えてもらえるとありがたいね(笑)」
【PROFILE】
1963年2月6日、バルセロナ出身。2010年に副会長に就任し、サンドロ・ロセイ前会長が辞任した14年1月に会長に昇格。「ソシオに選ばれた会長ではない」との批判を受けて実施した15年7月の会長選で勝者となり、正式に会長に就任した。港や空港ターミナル関連のメンテナンスなどを行なうサービスグループ企業、『EFSEQUIPOFACILITY SERVICES』社の代表を務める。
インタビュー:竹田 忍(ワールドサッカーダイジェスト編集部)
通訳:山本美智子
※『ワールドサッカーダイジェスト』2016年1月21日号より加筆・修正