「1試合だけど100試合分くらいの価値があった」

【GAME1】プロデビュー戦となったV川崎時代のC大阪戦。西澤(9番)ら代表クラスの選手たちと対峙するなか、ガムシャラにプレーし、「胸がドキドキしっ放しの90分間だった」。写真:サッカーダイジェスト
中澤佑二セレクト「思い出深き5つのゲーム」
J1通算500試合出場――。偉業達成までに積み上げてきたその歴史の中から、特に印象に残るゲームを中澤本人にセレクトしてもらい、その思い出を語ってもらった。
GAME1
1999年3月13日 第1ステージ2節
V川崎 2-0 C大阪
得:V=エンリケ(52分)、高木(89分)
「忘れもしない、僕のプロデビューがこの試合だった。
当時のセレッソには森島さん(寛晃)、西澤さん(明訓)、ファン・ソノン選手と、前線に豪華な顔ぶれが揃っていた。ただ正直、自分がどんなプレーをしたのかまったく覚えていない(苦笑)。とにかく緊張したことだけが記憶に残っている。
ガムシャラにプレーして、来たボールを撥ね返す。ボールを持ったら近くの味方にシンプルに預ける。2-0で勝つことができたけど、胸がドキドキしっ放しの90分間だった。
ちなみに、この試合にはトルシエさん(元日本代表監督)が視察に来ていて、僕が五輪代表や日本代表に選ばれるきっかけにもなった。僕の人生の中でとても大きな意味を持つゲームで、1試合だけどその後の人生を考えると、100試合分くらいの価値があったと思う」
GAME2
2002年4月20日 第1ステージ7節
磐田 1-3 横浜
得:磐=服部(46分) 横=ウィル2(2分・87分)、中澤(55分)
「強いジュビロに3-1で勝つことができて、とにかく嬉しかったから、鮮明に覚えている。
当時、僕はヴェルディ(現・東京V)から移籍してきて間もなかったので、チームメイトからの信頼を得られていない状況だった。
でもこの試合で移籍後初ゴールを決めて、さらに試合に勝つこともできた。僕自身、レベルアップするために移籍を決断した意味を再確認できたし、本当の意味でF・マリノスの一員になれた試合だったと思う」
J1通算500試合出場――。偉業達成までに積み上げてきたその歴史の中から、特に印象に残るゲームを中澤本人にセレクトしてもらい、その思い出を語ってもらった。
GAME1
1999年3月13日 第1ステージ2節
V川崎 2-0 C大阪
得:V=エンリケ(52分)、高木(89分)
「忘れもしない、僕のプロデビューがこの試合だった。
当時のセレッソには森島さん(寛晃)、西澤さん(明訓)、ファン・ソノン選手と、前線に豪華な顔ぶれが揃っていた。ただ正直、自分がどんなプレーをしたのかまったく覚えていない(苦笑)。とにかく緊張したことだけが記憶に残っている。
ガムシャラにプレーして、来たボールを撥ね返す。ボールを持ったら近くの味方にシンプルに預ける。2-0で勝つことができたけど、胸がドキドキしっ放しの90分間だった。
ちなみに、この試合にはトルシエさん(元日本代表監督)が視察に来ていて、僕が五輪代表や日本代表に選ばれるきっかけにもなった。僕の人生の中でとても大きな意味を持つゲームで、1試合だけどその後の人生を考えると、100試合分くらいの価値があったと思う」
GAME2
2002年4月20日 第1ステージ7節
磐田 1-3 横浜
得:磐=服部(46分) 横=ウィル2(2分・87分)、中澤(55分)
「強いジュビロに3-1で勝つことができて、とにかく嬉しかったから、鮮明に覚えている。
当時、僕はヴェルディ(現・東京V)から移籍してきて間もなかったので、チームメイトからの信頼を得られていない状況だった。
でもこの試合で移籍後初ゴールを決めて、さらに試合に勝つこともできた。僕自身、レベルアップするために移籍を決断した意味を再確認できたし、本当の意味でF・マリノスの一員になれた試合だったと思う」