【U-20激闘譜】「日本の1つの指標に」黄金世代の凄さとは何だったのか? 生き証人・播戸竜二の回想録

カテゴリ:連載・コラム

元川悦子

2020年06月30日

「先発とか控えに関係なく、『どうしたら自分がこのチームに貢献できるか』を徹底的に考えた」

黄金世代では前線の主軸として存在感を示した高原。写真:サッカーダイジェスト写真部

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 99年4月のワールドユース本大会までは半年足らず。トルシエはA代表、U-21代表も兼務していたから、ユース代表にそう多くの時間は割けず、新体制始動は2月にズレ込んだ。準備期間はわずかだったが、トルシエは前任者のやり方を踏襲することなく、あくまで自分流を貫いた。

 最初に着手したのは、4-4-2から3-5-2への布陣変更。「フラット3」という特殊戦術を浸透させるべく、清雲体制ではボランチのサブだった中田浩二(鹿島CRO)を左ストッパーにコンバート。最終予選メンバー外の辻本茂輝(鹿児島コーチ)も思い切って抜擢した。中盤は小笠原や遠藤を重用。攻撃的MFを主戦場としていた本山も左アウトサイドへ移動させ、ガラリと陣容を変えたのだ。FW陣も高原こそ無風だったが、相棒役の候補に97年ワールドユース(マレーシア)経験者でドイツ・カールスルーエでプレーしていた永井雄一郎(はやぶさイレブン)を抜擢。播戸と競争させることにした。

「永井君がトルシエのサッカーにフィットしているのは分かってたし、自分としては先発とか控えに関係なく、『どうしたら自分がこのチームに貢献できるか』を徹底的に考えました。本大会はサブに回ることが多かったけど、控えには控えの役割があるし、ベンチにいる間は精一杯盛り上げなきゃいけない。仲間をリスペクトしていたから、そういうことが自然とできましたね」と播戸は清々しい表情で言う。2018年末の引退した小笠原も「伸二には最後まで勝てなかった」と神妙な面持ちで話していたが、黄金世代はそれぞれの個性や能力を認め合い、リスペクトしながら前向きに競争できる最高の仲間だった。だからこそ、彼らは長きにわたって日本サッカー界のトップに君臨できたのだろう。

 トルシエというエキセントリックな指導者も多感な若者たちに多くの気づきを与え、化学変化をもたらした。ブルキナファソ遠征でガタガタ道を10時間移動して試合をし、衛生状態の悪い現地の食事を食べるなど、恵まれた時代に育った日本のユース年代には想像だにしないことだったに違いない。

「フランスのクレールフォンテーヌで合宿した時に『食事はまずサラダから取るんだ』と言い出したり、『みんなで話をしろ』とわざわざ同じテーブルに座るメンツを入れ替えたり、ナイジェリアでも孤児院に連れて行ったりと、トルシエは人間教育を重視して、あらゆる形で刺激を与えようとしていました。当時は携帯もネットもないし、アフリカは相当に過酷な環境だったけど、誰も『帰りたい』なんて言わなかった。僕がトルシエの真似をして盛り上げたり、98年フランス・ワールドカップ優勝のフランス代表が歌った『ラララの歌』をみんなで大合唱したりと、チームの一体感が日に日に高まっていくのを感じた。そういう和が勝つチームを作るんですよね」(播戸)
 

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