「異次元の世界」に映ったスペインの凄さ。「7~8割ボールを保持され…」
95年ワールドユースは4月。当初はナイジェリアで開催される予定だったが、衛生面などの問題で不可能となり、カタールで代替開催される運びとなった。コアメンバーは不変で、プロ入りしたばかりの安永、中田、松田もクラブで出番を得ていたため、本大会入りできた。が、西澤のように落選を余儀なくされる者もいた。逆に最終予選にいなかった奥や森岡隆三(清水エスパルスでアカデミー・ヘッドオブコーチング)らが招集され、ケガの田中誠(磐田スカウト)に代わって秋葉忠宏(水戸監督)も呼ばれた。最終予選からチーム編成は微妙に変わったが、一体感や結束力は依然として強かったという。
「卓が大学で調子を落として、大介が入れ替わる形で2列目に入ったんです。キャプテンもボランチのクマ(熊谷浩二=鹿島コーチ)に代わった。卓もいいリーダーだったけど、この時のクマはフェアな人柄がプラスに働き、みんなの人望もあったので、個性的な面々をよくまとめていましたね。最後のブラジル戦も正直、負ける気はしなかったし、全員が積極果敢にチャレンジしていた。いいチームだったんじゃないかと思います」
こう述懐する安永自身も、ブルンジ戦で1点を挙げるなど好調を維持していた。しかし、スペインだけは「異次元の世界」に映った。ラウール・ゴンサレス、デ・ラ・ペーニャ、エチェベリア、サルガドら後のスペイン代表を背負う面々の凄さに度肝を抜かれた。
「結果は1-2だったけど、7~8割ボールを保持され、全く奪えない。取りに行った瞬間にかわされ、ボールに触らせてもらえないんです。あれは過去にない感覚だった。正直、打ちのめされましたね」
「卓が大学で調子を落として、大介が入れ替わる形で2列目に入ったんです。キャプテンもボランチのクマ(熊谷浩二=鹿島コーチ)に代わった。卓もいいリーダーだったけど、この時のクマはフェアな人柄がプラスに働き、みんなの人望もあったので、個性的な面々をよくまとめていましたね。最後のブラジル戦も正直、負ける気はしなかったし、全員が積極果敢にチャレンジしていた。いいチームだったんじゃないかと思います」
こう述懐する安永自身も、ブルンジ戦で1点を挙げるなど好調を維持していた。しかし、スペインだけは「異次元の世界」に映った。ラウール・ゴンサレス、デ・ラ・ペーニャ、エチェベリア、サルガドら後のスペイン代表を背負う面々の凄さに度肝を抜かれた。
「結果は1-2だったけど、7~8割ボールを保持され、全く奪えない。取りに行った瞬間にかわされ、ボールに触らせてもらえないんです。あれは過去にない感覚だった。正直、打ちのめされましたね」