周囲の人々に支えられ、徐々に変貌を遂げていく柿谷。
周囲も若き日の柿谷を支えた。移籍当初、柿谷は羽地登志晃(現・徳島U-15監督)とよく行動を共にした。そして試合が立て込んだ遠征前日、柿谷は移動用に使うワイシャツを洗濯できずにいるのに気付き、慌てて羽地に相談を持ち掛けた。すると羽地の妻が丁寧にアイロンをかけ、遠征までに綺麗に仕上げてくれたという。
試合中心に回る、プロサッカー選手になって初めての生活サイクル。そこで得られる充実感。多くの人の手厚いサポート。一方での不安。C大阪のチーム事情……。様々な要素を天びんにかけて、柿谷はその後も、徳島でプレーすることを決める。
生活習慣も改善されていった。柿谷が徳島に来たばかりの頃は、練習開始の直前にクラブハウスに現われていた。練習場の近くにある選手たちの行きつけの喫茶店『くたくた』を夫婦で営んでいる、夫人の藤井尚美は振り返る。
「初めの頃、曜一朗くんだけ練習が始まるギリギリまでお店にいて、ああ大丈夫なんやろうかと、自分のほうがヒヤヒヤしていましたわ(笑)」
そんな柿谷を見かねたのが、2010年にC大阪から徳島へ移籍してきた濱田武だ。ふたりは同じマンションの向かいの部屋に住むことになった。
「僕が徳島に来た初めのうち、毎朝、曜一朗を起こしていました。それで曜一朗の車で練習場まで行ってたんです。けど、それも最初だけですよ。途中からはあいつも自分で起きて行くようになりました」
濱田はそう振り返る。8つも歳の差がありながらC大阪時代から波長の合ったふたりは、自然と徳島でも時間を共有し合うようになる。昼食をとるのは、いつも一緒だった。
ところが、2010年のシーズン終盤、柿谷に異変が起きる。
「1時間前? ちょっと、ちゃいますよ」と、喫茶店『くたくた』の主人・藤井多計男は言う。「もっと早く、1時間半か、2時間ぐらい前には練習場へ行ってましたよ」。
柿谷は朝方によく『くたくた』でミックスサンドを食べてから練習場へ通っていた。ひとりで店に訪れ、本を左手に読みふけり、右手でサンドイッチをほおばり、そしてクラブハウスへ向かって行ったという。
「なんだか来た時から段々と雰囲気も変わり、格好良くなっていきましたからね(笑)」
夫人の尚美は、そう言って目を細める。実際、柿谷は明らかに変わっていった。
徳島にはトレーナーが3人いて、練習前から選手の様々な要望に応じられるように準備している。一番早くから一番遅くまで選手たちの身体と向き合うパートだ。
そのひとりの山田政弘は、大塚製薬時代の90年から専属トレーナーとして携わってきた、〝ヴォルティスの生き字引〞と言える存在である。その頃、誰よりも早く練習場に来ていたのが倉貫一毅(現・鳥取)だった。
山田によると、「曜一朗は『倉貫さんから、準備の大切さを学んだ』と言っていました」。その倉貫の練習の準備段階から妥協しない姿勢に刺激を受け、柿谷も朝方のクラブハウスに来てから、筋力トレーニングや入念なストレッチなどに時間を費やすようになる。
「高い意識は元々持っていましたからね」と、山田は頷く。
「曜一朗が自分の筋肉について詳しく知りたがっていたのが印象的でした。少しでも身体で気になったことがあれば相談に来て、ケアの仕方や筋肉の張りを取るための助言などを求めてきたんです。知識を身に付けたり学ぶのを楽しんでいるようでした」
山田は「曜一朗の筋肉はとても繊細だった」とも話す。
「しかも全体のバランスがとても良かった。どこかの部位に過緊張を起こすことがなかった。それは全身を上手く使えている証です。きっとセンスが良いんでしょうね」
報道されていたような悪ガキのイメージなどまるで抱かず、「人懐っこいところがあった。それにセレッソへ戻る時にもあいさつに来てくれて、律儀なやつでしたよ」と、まるで我が子のように懐かしんでいた。
試合中心に回る、プロサッカー選手になって初めての生活サイクル。そこで得られる充実感。多くの人の手厚いサポート。一方での不安。C大阪のチーム事情……。様々な要素を天びんにかけて、柿谷はその後も、徳島でプレーすることを決める。
生活習慣も改善されていった。柿谷が徳島に来たばかりの頃は、練習開始の直前にクラブハウスに現われていた。練習場の近くにある選手たちの行きつけの喫茶店『くたくた』を夫婦で営んでいる、夫人の藤井尚美は振り返る。
「初めの頃、曜一朗くんだけ練習が始まるギリギリまでお店にいて、ああ大丈夫なんやろうかと、自分のほうがヒヤヒヤしていましたわ(笑)」
そんな柿谷を見かねたのが、2010年にC大阪から徳島へ移籍してきた濱田武だ。ふたりは同じマンションの向かいの部屋に住むことになった。
「僕が徳島に来た初めのうち、毎朝、曜一朗を起こしていました。それで曜一朗の車で練習場まで行ってたんです。けど、それも最初だけですよ。途中からはあいつも自分で起きて行くようになりました」
濱田はそう振り返る。8つも歳の差がありながらC大阪時代から波長の合ったふたりは、自然と徳島でも時間を共有し合うようになる。昼食をとるのは、いつも一緒だった。
ところが、2010年のシーズン終盤、柿谷に異変が起きる。
「1時間前? ちょっと、ちゃいますよ」と、喫茶店『くたくた』の主人・藤井多計男は言う。「もっと早く、1時間半か、2時間ぐらい前には練習場へ行ってましたよ」。
柿谷は朝方によく『くたくた』でミックスサンドを食べてから練習場へ通っていた。ひとりで店に訪れ、本を左手に読みふけり、右手でサンドイッチをほおばり、そしてクラブハウスへ向かって行ったという。
「なんだか来た時から段々と雰囲気も変わり、格好良くなっていきましたからね(笑)」
夫人の尚美は、そう言って目を細める。実際、柿谷は明らかに変わっていった。
徳島にはトレーナーが3人いて、練習前から選手の様々な要望に応じられるように準備している。一番早くから一番遅くまで選手たちの身体と向き合うパートだ。
そのひとりの山田政弘は、大塚製薬時代の90年から専属トレーナーとして携わってきた、〝ヴォルティスの生き字引〞と言える存在である。その頃、誰よりも早く練習場に来ていたのが倉貫一毅(現・鳥取)だった。
山田によると、「曜一朗は『倉貫さんから、準備の大切さを学んだ』と言っていました」。その倉貫の練習の準備段階から妥協しない姿勢に刺激を受け、柿谷も朝方のクラブハウスに来てから、筋力トレーニングや入念なストレッチなどに時間を費やすようになる。
「高い意識は元々持っていましたからね」と、山田は頷く。
「曜一朗が自分の筋肉について詳しく知りたがっていたのが印象的でした。少しでも身体で気になったことがあれば相談に来て、ケアの仕方や筋肉の張りを取るための助言などを求めてきたんです。知識を身に付けたり学ぶのを楽しんでいるようでした」
山田は「曜一朗の筋肉はとても繊細だった」とも話す。
「しかも全体のバランスがとても良かった。どこかの部位に過緊張を起こすことがなかった。それは全身を上手く使えている証です。きっとセンスが良いんでしょうね」
報道されていたような悪ガキのイメージなどまるで抱かず、「人懐っこいところがあった。それにセレッソへ戻る時にもあいさつに来てくれて、律儀なやつでしたよ」と、まるで我が子のように懐かしんでいた。