生き残った3選手がピッチに登場。
復興に向けて本格的に動き出したのは、それから6日後だ。クラブはサントス、クルゼイロなど国内の名門を率いた経験を持つヴァグネル・マンシーニの新監督就任を発表したのである。マンシーニは、決意をこう語った。
「ジュニオール前監督、選手らの遺志を継いで、また市民に誇りと喜びを与えられるようなチームを作る」
さらにクラブは、新会長を決める選挙を実施。その結果、故パラオーロの後任は実業家のプリニオ・ダビ・デ・ネスに決定した。強化部も新たに発足し、クリスマス、新年の休みを返上してチーム作りに奔走。1月末までに、16年に京都サンガでプレーしたボランチのアンドレイ・ジロットなど30選手を獲得し、U-20から9選手を昇格させた。この他、事故を免れたモイゼスら3選手が引き続きチームに残り、奇跡の生還を果たした前述のルシェウとネットが数か月後の復帰を目指した。
1月4日、チームはプレシーズン合宿を開始し、21日にはホームでパルメイラスと親善試合を行なった。つまりパルメイラスは、事故前に最後に対戦し、事故後に最初に対戦したチームになったわけである。
パルメイラス戦の前、生き残った3選手がピッチに登場し、コパ・スダメリカーナの優勝カップが授与された。事故のこと、命を落とした仲間のことを思い出したのだろう。3人とも涙が止まらない。亡くなった選手、クラブ関係者の遺族にも優勝記念メダルが渡され、号泣する遺族を見てスタンドのサポーターも涙した。
試合は前半はAチームが、後半はBチームがプレー。顔ぶれがすっかり様変わりしたシャペコエンセは連携不足が懸念されたものの、中盤で激しく守り、手数をかけずに攻めるスタイルはこれまでと変わらない。16年シーズンの国内王者に先制されたがすぐに追いつき、逆転にも成功する。しかし後半に追いつかれて試合は結局、2-2のドローで終了した。なお、この試合の収益は、事故で亡くなった選手とクラブ関係者の遺族に送られる。
そして26日、事故後最初の公式戦をホームで迎えた。南部4州の強豪など16クラブが参加するプリメイラ・リーガ。相手はジョインビーレだった。マンシーニ監督は3日後に開幕する州選手権にプライオリティーを置き、Bチームを送り出した。
序盤は相手に中盤を支配されて劣勢に立たされたものの、次第に落ち着いてパスを回せるようになり、地元観衆を沸かせる。後半に入るとサイド攻撃から再三に渡ってチャンスを作ったが決め切れず、結局はスコアレスドローに終わっている。それでも大いなる一歩を踏み出したチームに対して、スタンドからは拍手が鳴りやまなかった。
(第2回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.02.21号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。
「ジュニオール前監督、選手らの遺志を継いで、また市民に誇りと喜びを与えられるようなチームを作る」
さらにクラブは、新会長を決める選挙を実施。その結果、故パラオーロの後任は実業家のプリニオ・ダビ・デ・ネスに決定した。強化部も新たに発足し、クリスマス、新年の休みを返上してチーム作りに奔走。1月末までに、16年に京都サンガでプレーしたボランチのアンドレイ・ジロットなど30選手を獲得し、U-20から9選手を昇格させた。この他、事故を免れたモイゼスら3選手が引き続きチームに残り、奇跡の生還を果たした前述のルシェウとネットが数か月後の復帰を目指した。
1月4日、チームはプレシーズン合宿を開始し、21日にはホームでパルメイラスと親善試合を行なった。つまりパルメイラスは、事故前に最後に対戦し、事故後に最初に対戦したチームになったわけである。
パルメイラス戦の前、生き残った3選手がピッチに登場し、コパ・スダメリカーナの優勝カップが授与された。事故のこと、命を落とした仲間のことを思い出したのだろう。3人とも涙が止まらない。亡くなった選手、クラブ関係者の遺族にも優勝記念メダルが渡され、号泣する遺族を見てスタンドのサポーターも涙した。
試合は前半はAチームが、後半はBチームがプレー。顔ぶれがすっかり様変わりしたシャペコエンセは連携不足が懸念されたものの、中盤で激しく守り、手数をかけずに攻めるスタイルはこれまでと変わらない。16年シーズンの国内王者に先制されたがすぐに追いつき、逆転にも成功する。しかし後半に追いつかれて試合は結局、2-2のドローで終了した。なお、この試合の収益は、事故で亡くなった選手とクラブ関係者の遺族に送られる。
そして26日、事故後最初の公式戦をホームで迎えた。南部4州の強豪など16クラブが参加するプリメイラ・リーガ。相手はジョインビーレだった。マンシーニ監督は3日後に開幕する州選手権にプライオリティーを置き、Bチームを送り出した。
序盤は相手に中盤を支配されて劣勢に立たされたものの、次第に落ち着いてパスを回せるようになり、地元観衆を沸かせる。後半に入るとサイド攻撃から再三に渡ってチャンスを作ったが決め切れず、結局はスコアレスドローに終わっている。それでも大いなる一歩を踏み出したチームに対して、スタンドからは拍手が鳴りやまなかった。
(第2回につづく)
取材・文:沢田啓明
※ワールドサッカーダイジェスト2017.02.21号より加筆・修正
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【著者プロフィール】
さわだ ひろあき/1986年にブラジル・サンパウロへ移り住み、以後、ブラジルと南米のフットボールを追い続けている。日本のフットボール専門誌、スポーツ紙、一般紙、ウェブサイトなどに寄稿しており、著書に『マラカナンの悲劇』、『情熱のブラジルサッカー』などがある。1955年、山口県出身。