マイナスの感情=弱い人?スペインでは驚きの反応が。
最初のシーズンが終わり、一時帰国で日本に戻った後藤は、身体を絞り、体重を落とした。
「私にできるのは走ること。最低限走れる自分にしておかなくちゃって」
1年目は筋肉をつけた。当たり負けしていたからだ。重たい、動きづらいと感じているのに、それでも身体を大きくしなければならないと。
「〇〇しなければならない。これは思考です。自分の感覚をまったく信用できなくなっていましたね」
思考や意識で、感情のコントロールはできない。出来事に自然と反応し、無意識に出てくるのが、生存本能と結びついた恐怖などの感情なのだ。試合前、不安を感じているのに、いや強気で臨まないと、などと思考でふたをしてしまえば、ありのままの自分を見逃してしまう。
「思考や理性は人間が共同生活、社会生活を営むうえで必要です。ただ、それが働きすぎる時がある。スポーツの試合でも同じです」
日本人が自分の感情をなかなかキャッチできないのは、緊張や不安は良くないと感情自体を評価する傾向のせいでもあると後藤は指摘する。
「例えばロッカールームで『ああ、緊張する。澤さん怖いかも』と呟いたら、周りから『弱っ』って言われるでしょう。ビビってんの?大丈夫?弱いねって。マイナスの感情=弱いと。でも緊張して、怖いと感じていても、ピッチ上で自分の実力を発揮できたら、それは弱いということになるでしょうか?」
ラージョのチームメイトが、その好例だった。エースで主将のナターリアは、大きな試合の前は相当ナーバスになっていた。それでもピッチに立てば、きっちりゴールを奪ってきたのだ。スペインで「ああ、緊張する」と口に出しても、戻ってくるのは「そうだよね。大切な試合だもんね」といった反応だ。日本では他者の視線を人一倍気にしていた後藤にとって、それは驚きだった。
「スペイン人って周りからどう見られているか、気にしてないなって」
ラージョでの2年目は、開幕当初から先発出場できるようになっていた。時々ベンチスタートとなっても、その自分を受け入れて努力できる。自己肯定感が育ってきた証拠だった。迎えた11年11月3日の大一番が、CLのアーセナル戦だった。後藤はサイドハーフのスターターを任された。
「とにかく走り切ろう。奪ったボールは、近くの選手にすぐ預けよう」
できない自分を受け入れてから、積み重ねてきた確実にできることだった。叩いて、走る。預けて、走る。そんな試みのひとつが31分、ラージョの同点弾に繋がる。ゴールを決めたエースで主将のナターリアに駆け寄り、抱きつくと、背中に別の選手が飛びついてきた。挟まれて、息が苦しく、でも嬉しくて。あの感触、記憶は、はっきりと残っている。目標としてきたCLで、ベスト8入りが懸かった大事な試合だった。
「私のキャリアでは最大のプレッシャーの中、試合前は本当に怖かったのに、できたんです。やり切った感がすごくありました」
後藤にはユニバーシアード日本代表の選出歴もある。しかし――。
「できなかった記憶しかないんです。ユニバ代表って言われても、ちっとも自信にできていない肩書きでした」
1-1で引き分けたアーセナル戦の翌日は、起き上がれなかった。何度も吹き飛ばされていたので、身体中が痛い。それでもベッドの上でニヤニヤし続けた。
「サッカーが楽しかったのは、初めてでした」
「私にできるのは走ること。最低限走れる自分にしておかなくちゃって」
1年目は筋肉をつけた。当たり負けしていたからだ。重たい、動きづらいと感じているのに、それでも身体を大きくしなければならないと。
「〇〇しなければならない。これは思考です。自分の感覚をまったく信用できなくなっていましたね」
思考や意識で、感情のコントロールはできない。出来事に自然と反応し、無意識に出てくるのが、生存本能と結びついた恐怖などの感情なのだ。試合前、不安を感じているのに、いや強気で臨まないと、などと思考でふたをしてしまえば、ありのままの自分を見逃してしまう。
「思考や理性は人間が共同生活、社会生活を営むうえで必要です。ただ、それが働きすぎる時がある。スポーツの試合でも同じです」
日本人が自分の感情をなかなかキャッチできないのは、緊張や不安は良くないと感情自体を評価する傾向のせいでもあると後藤は指摘する。
「例えばロッカールームで『ああ、緊張する。澤さん怖いかも』と呟いたら、周りから『弱っ』って言われるでしょう。ビビってんの?大丈夫?弱いねって。マイナスの感情=弱いと。でも緊張して、怖いと感じていても、ピッチ上で自分の実力を発揮できたら、それは弱いということになるでしょうか?」
ラージョのチームメイトが、その好例だった。エースで主将のナターリアは、大きな試合の前は相当ナーバスになっていた。それでもピッチに立てば、きっちりゴールを奪ってきたのだ。スペインで「ああ、緊張する」と口に出しても、戻ってくるのは「そうだよね。大切な試合だもんね」といった反応だ。日本では他者の視線を人一倍気にしていた後藤にとって、それは驚きだった。
「スペイン人って周りからどう見られているか、気にしてないなって」
ラージョでの2年目は、開幕当初から先発出場できるようになっていた。時々ベンチスタートとなっても、その自分を受け入れて努力できる。自己肯定感が育ってきた証拠だった。迎えた11年11月3日の大一番が、CLのアーセナル戦だった。後藤はサイドハーフのスターターを任された。
「とにかく走り切ろう。奪ったボールは、近くの選手にすぐ預けよう」
できない自分を受け入れてから、積み重ねてきた確実にできることだった。叩いて、走る。預けて、走る。そんな試みのひとつが31分、ラージョの同点弾に繋がる。ゴールを決めたエースで主将のナターリアに駆け寄り、抱きつくと、背中に別の選手が飛びついてきた。挟まれて、息が苦しく、でも嬉しくて。あの感触、記憶は、はっきりと残っている。目標としてきたCLで、ベスト8入りが懸かった大事な試合だった。
「私のキャリアでは最大のプレッシャーの中、試合前は本当に怖かったのに、できたんです。やり切った感がすごくありました」
後藤にはユニバーシアード日本代表の選出歴もある。しかし――。
「できなかった記憶しかないんです。ユニバ代表って言われても、ちっとも自信にできていない肩書きでした」
1-1で引き分けたアーセナル戦の翌日は、起き上がれなかった。何度も吹き飛ばされていたので、身体中が痛い。それでもベッドの上でニヤニヤし続けた。
「サッカーが楽しかったのは、初めてでした」