「ときには『次、決めればいいんでしょ』って、気持ちを切り替えることが大事」
仲間のサポートも大きかった。
3バックを敷く最終ラインは強固で、簡単にはゴールを許さない。その中央の竹田忠嗣、ボランチの千明聖典、仙石廉の3人が攻撃をビルドアップし、両ウイングバックは上下動を繰り返した。
2シャドーのひとりである石原崇兆は川又の背後から飛び出し、もうひとりのキム・ミンキュンは豊富なアイデアで多くのチャンスを生み出した。
「俺は個人技でゴールを取れるタイプじゃない。仲間のサポートがあってこそ輝けるタイプだから、ブレイクできたのはチャンスを作ってくれたみんなのおかげ。なかでも、キム・ミンキュンはJ2でもトップクラスの選手でした。ボールを預ければ必ずリターンが来るし、俺にボールが入った時のサポートも抜群。すべてが良かった」
忘れかけていたゴール感覚を取り戻したこの年、川又はストライカーとしての醍醐味を改めて味わっていた。
それは、自分が決めるか否かがチームの勝敗を左右するという責任感であり、自身のゴールがファン・サポーターに熱狂をもたらすという快感である。
「お金を払ってスタジアムまで足を運んでくれる、遠く離れたアウェーまで駆けつけてくれる、そんな人たちが喜んでくれるのは嬉しいし、改めてプロは結果だなってしみじみと感じましたね。もともと、プロは結果がすべてだっていうのは、ブラジルに留学した時に感じていたことではあったんですけど……」
―――◆―――◆―――
サンパウロ州2部リーグのチームに留学したのは2010年、プロ3年目の20歳の頃だった。
そこは田舎町の小さなクラブで、練習場のピッチは凸凹だらけ、雑草も生えていた。チームバスには窓がなく、座席には穴が空いていた。
自宅に冷房設備などもなく、風通しが悪いからベッドのシーツをはぐとカビだらけ。壁にはイモリが這っていた。
「街中に拳銃を持った人がいたり、薬か何かをやっていてぶっ飛んでいる人がいたり。そんな環境で、ブラジルの選手たちは家族を養うために戦っていた。そういうのを見て、日本人は恵まれているなって思ったし、正直、こんなところで生活したくないとも思った。結果を残して這い上がらないといけないなって」
日本では味わえない生活を経験していたからこそ、サッカー人生を懸けた岡山で結果を残せたとも言えるだろう。
だとすれば、帰国したばかりの頃は、まだ甘さがあったのかもしれない。
「たぶん、まだ精神的に弱かったんですよね。『俺が決めていれば』って考え込んだりして、真面目すぎた。岡山でゴールを取れるようになって改めて思ったのは、『なんで入らんのやろう』って考える暇があるなら、次の準備をしたほうがいいってこと。考え込んだら立ち止まってしまいますからね。過去を振り返っても戻れるわけではないので、常にポジティブに、ときには『次、決めればいいんでしょ』って、気持ちを切り替えることが大事」
3バックを敷く最終ラインは強固で、簡単にはゴールを許さない。その中央の竹田忠嗣、ボランチの千明聖典、仙石廉の3人が攻撃をビルドアップし、両ウイングバックは上下動を繰り返した。
2シャドーのひとりである石原崇兆は川又の背後から飛び出し、もうひとりのキム・ミンキュンは豊富なアイデアで多くのチャンスを生み出した。
「俺は個人技でゴールを取れるタイプじゃない。仲間のサポートがあってこそ輝けるタイプだから、ブレイクできたのはチャンスを作ってくれたみんなのおかげ。なかでも、キム・ミンキュンはJ2でもトップクラスの選手でした。ボールを預ければ必ずリターンが来るし、俺にボールが入った時のサポートも抜群。すべてが良かった」
忘れかけていたゴール感覚を取り戻したこの年、川又はストライカーとしての醍醐味を改めて味わっていた。
それは、自分が決めるか否かがチームの勝敗を左右するという責任感であり、自身のゴールがファン・サポーターに熱狂をもたらすという快感である。
「お金を払ってスタジアムまで足を運んでくれる、遠く離れたアウェーまで駆けつけてくれる、そんな人たちが喜んでくれるのは嬉しいし、改めてプロは結果だなってしみじみと感じましたね。もともと、プロは結果がすべてだっていうのは、ブラジルに留学した時に感じていたことではあったんですけど……」
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サンパウロ州2部リーグのチームに留学したのは2010年、プロ3年目の20歳の頃だった。
そこは田舎町の小さなクラブで、練習場のピッチは凸凹だらけ、雑草も生えていた。チームバスには窓がなく、座席には穴が空いていた。
自宅に冷房設備などもなく、風通しが悪いからベッドのシーツをはぐとカビだらけ。壁にはイモリが這っていた。
「街中に拳銃を持った人がいたり、薬か何かをやっていてぶっ飛んでいる人がいたり。そんな環境で、ブラジルの選手たちは家族を養うために戦っていた。そういうのを見て、日本人は恵まれているなって思ったし、正直、こんなところで生活したくないとも思った。結果を残して這い上がらないといけないなって」
日本では味わえない生活を経験していたからこそ、サッカー人生を懸けた岡山で結果を残せたとも言えるだろう。
だとすれば、帰国したばかりの頃は、まだ甘さがあったのかもしれない。
「たぶん、まだ精神的に弱かったんですよね。『俺が決めていれば』って考え込んだりして、真面目すぎた。岡山でゴールを取れるようになって改めて思ったのは、『なんで入らんのやろう』って考える暇があるなら、次の準備をしたほうがいいってこと。考え込んだら立ち止まってしまいますからね。過去を振り返っても戻れるわけではないので、常にポジティブに、ときには『次、決めればいいんでしょ』って、気持ちを切り替えることが大事」