鹿島、欧州・中南米のクラブ・代表・選抜チームとの対戦結果

現在はセビージャでプレーするガンソ(写真)や、個性的な守護神R・セーニらを擁するサンパウロを3-2で撃破。相手のコンディションは完全ではなかったものの、称賛できる結果だった。 (C) Getty Images
ここでは、クラブ創設以来、鹿島が行なった欧州、中南米のクラブ、代表選手、選抜チームとの対戦成績を以下に記した。
鹿島はスペインのビッグ3だけでなく、2004年、前シーズンにリーガ・エスパニョーラを制したばかりのバレンシアとも親善試合を行ない、またイングランド・マンチェスターの2クラブとも対戦している。
1993年、Jリーグ開幕直前の4月に欧州遠征を行ない、当時セリエCのマントバと1-1で引き分けたのが、最初の欧州クラブとの対戦。ゴールは長谷川祥之が決めた。
続くクロアチア戦ではシュケル(4点)、ボバン(2点)ら名手に立て続けにゴールを食らって8失点を喫し、反撃はアルシンドの1点止まり。しかしその10日後のインテル戦では、強豪相手に引き分けに持ち込んだ(前年に対戦した日本代表は0-3で敗れている)。
国内に戻ると、ブラジルの強豪フルミネンセと2試合を戦って1勝1分けの好成績を残し、その勢いでJリーグに臨み、開幕戦でジーコのハットトリックなどで名古屋グランパス(エイト)を5-0の大差で下して、初代シリーズ王者への道を驀進していった。
こうして世界との邂逅を果たした鹿島は、ジャパンマネーの影響で90年前半は欧州、南米の強豪クラブと親善試合で対戦。しかし、間もなくしてこういった類の試合は減り、アジア勢との真剣勝負(カップ戦)が国際試合のほとんどを占めていく。
2000年代に入り、再び欧州ビッグクラブの日本ツアーが行なわれるようになり、鹿島も幾度か腕試しの機会を得た。
また、2010年代に入ると国内カップ王者としてスルガ銀行チャンピオンシップへの出場権を獲得。12年(対ウニベルシダ・デ・チリ)、13年(対サンパウロ)、16年(対インデペンディエンテ・サンタフェ)に出場し、1勝1分け1敗(1PK戦勝ち)の成績を残している。
Jリーグのなかで最も国際経験豊かなクラブのひとつである鹿島。今回、開催国枠ながら初めてクラブレベルでの世界最高峰の大会に出場し、その存在を世界に知らしめたのである。
1993年
△1-1 マントバ(イタリア)
×1-8 クロアチア代表
△1-1インテル(イタリア)
△1-1 フルミネンセ(ブラジル)
○2-0 フルミネンセ(ブラジル)
1994年
×2-3 サンパウロ州選抜(ブラジル)
△1-1 ポルト(ポルトガル)
×1-2 フラメンゴ(ブラジル)
△1-1 パルメイラス(ブラジル)
1995年
△1-1 インテルナショナル(ブラジル)
×2-3 パリ・サンジェルマン(フランス)
1996年
○4-2 クラブ・アトランテ(メキシコ)
×0-1 アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)
○3-1 グァラニ(ブラジル)
2002年
×1-2 イタリア代表
×0-6 ローマ(イタリア)
2004年
×0-5 バルセロナ(スペイン)
×0-1 バレンシア(スペイン)
2005年
○2-1 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
2006年
×1-3 アトレティコ・マドリー(スペイン)
○4-3 マンチェスター・シティ(イングランド)
2012年
△2(7PK6)2 ウニベルシダ・デ・チリ(チリ)
2013年
○3-2 サンパウロ(ブラジル)
2016年
×0-1 インデペンディエンテ・サンタフェ(コロンビア)
○3-0 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)
×2(延長)4 レアル・マドリー(スペイン)
鹿島はスペインのビッグ3だけでなく、2004年、前シーズンにリーガ・エスパニョーラを制したばかりのバレンシアとも親善試合を行ない、またイングランド・マンチェスターの2クラブとも対戦している。
1993年、Jリーグ開幕直前の4月に欧州遠征を行ない、当時セリエCのマントバと1-1で引き分けたのが、最初の欧州クラブとの対戦。ゴールは長谷川祥之が決めた。
続くクロアチア戦ではシュケル(4点)、ボバン(2点)ら名手に立て続けにゴールを食らって8失点を喫し、反撃はアルシンドの1点止まり。しかしその10日後のインテル戦では、強豪相手に引き分けに持ち込んだ(前年に対戦した日本代表は0-3で敗れている)。
国内に戻ると、ブラジルの強豪フルミネンセと2試合を戦って1勝1分けの好成績を残し、その勢いでJリーグに臨み、開幕戦でジーコのハットトリックなどで名古屋グランパス(エイト)を5-0の大差で下して、初代シリーズ王者への道を驀進していった。
こうして世界との邂逅を果たした鹿島は、ジャパンマネーの影響で90年前半は欧州、南米の強豪クラブと親善試合で対戦。しかし、間もなくしてこういった類の試合は減り、アジア勢との真剣勝負(カップ戦)が国際試合のほとんどを占めていく。
2000年代に入り、再び欧州ビッグクラブの日本ツアーが行なわれるようになり、鹿島も幾度か腕試しの機会を得た。
また、2010年代に入ると国内カップ王者としてスルガ銀行チャンピオンシップへの出場権を獲得。12年(対ウニベルシダ・デ・チリ)、13年(対サンパウロ)、16年(対インデペンディエンテ・サンタフェ)に出場し、1勝1分け1敗(1PK戦勝ち)の成績を残している。
Jリーグのなかで最も国際経験豊かなクラブのひとつである鹿島。今回、開催国枠ながら初めてクラブレベルでの世界最高峰の大会に出場し、その存在を世界に知らしめたのである。
1993年
△1-1 マントバ(イタリア)
×1-8 クロアチア代表
△1-1インテル(イタリア)
△1-1 フルミネンセ(ブラジル)
○2-0 フルミネンセ(ブラジル)
1994年
×2-3 サンパウロ州選抜(ブラジル)
△1-1 ポルト(ポルトガル)
×1-2 フラメンゴ(ブラジル)
△1-1 パルメイラス(ブラジル)
1995年
△1-1 インテルナショナル(ブラジル)
×2-3 パリ・サンジェルマン(フランス)
1996年
○4-2 クラブ・アトランテ(メキシコ)
×0-1 アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)
○3-1 グァラニ(ブラジル)
2002年
×1-2 イタリア代表
×0-6 ローマ(イタリア)
2004年
×0-5 バルセロナ(スペイン)
×0-1 バレンシア(スペイン)
2005年
○2-1 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)
2006年
×1-3 アトレティコ・マドリー(スペイン)
○4-3 マンチェスター・シティ(イングランド)
2012年
△2(7PK6)2 ウニベルシダ・デ・チリ(チリ)
2013年
○3-2 サンパウロ(ブラジル)
2016年
×0-1 インデペンディエンテ・サンタフェ(コロンビア)
○3-0 アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)
×2(延長)4 レアル・マドリー(スペイン)

欧州ビッグクラブのあいだで日本ツアーが流行していた2005年、マンチェスター・Uと対戦し、本山雅志、小笠原満男のゴールで2-1の勝利。当時のマンUには、20歳のC・ロナウドがおり、ギグスのゴールをアシストした。 (C) Getty Images