負けても感動」を追求したベルマーレ時代の手応えが――。
涙が込み上げてきたのは、300人を超えるサポーターを前にしてマイクを握っていた時だ。15年12月まで、大倉は湘南ベルマーレの代表取締役社長だった。「不覚にも泣いてしまった」のは、クラブが定期開催しているサポーターとの対話の場で、最後の挨拶をしている最中だった。
「今の自分があるのは、やっぱりベルマーレがすべてなんでね。皆さんに感謝していますって話をしながら、グッときちゃって」
ベルマーレのフロントで11年強を過ごした大倉は、強化部長からゼネラルマネジャーを経て、社長になった経歴を持つ。新天地を求める大倉を快く送り出そうと、会場のサポーターからはそんな空気が感じ取れた。「新たな挑戦をしたいという思いと、申し訳ないという気持ちがどちらもあって、それを正直に話しました。すると、頑張ってくださいっていう声のほうが大きくて」
ベルマーレ時代の大倉が監督や選手に求めていたのは、試合に負けても感動してもらえるような面白いサッカーだった。サポーターの支持が最初から得られたわけではない。結果が伴わない間は、批判や解任要求の声も聞こえてきた。
しかし、大倉の信念は揺るがなかった。湘南スタイルという理想を掲げ、プロクラブの存在意義を伝える努力を惜しまなかった。お客様を感動させるサッカーを追求していれば、必ず結果もついてくる。そう信じ、走り続けているうちに、ベルマーレはJ2からJ1に昇格。サポーターの反応にも変化が見られるようになった。
「中核のサポーターから、大倉さんの主張が理解できたって、言われたんです。いつの間にかサポーターのほうが内容に敏感になっていて、今日の試合は躍動してなかったよねとか、こんなのオレたちのスタイルじゃないよって。プロセスに目が向くようになっていましたね」
確固とした理念を掲げて、それを貫き通せば、サポーターにもこれだけ浸透していく。そうした実践への大きな手応えこそ、大倉がベルマーレで掴んだ何よりの成功体験だったのかもしれない。
「今の自分があるのは、やっぱりベルマーレがすべてなんでね。皆さんに感謝していますって話をしながら、グッときちゃって」
ベルマーレのフロントで11年強を過ごした大倉は、強化部長からゼネラルマネジャーを経て、社長になった経歴を持つ。新天地を求める大倉を快く送り出そうと、会場のサポーターからはそんな空気が感じ取れた。「新たな挑戦をしたいという思いと、申し訳ないという気持ちがどちらもあって、それを正直に話しました。すると、頑張ってくださいっていう声のほうが大きくて」
ベルマーレ時代の大倉が監督や選手に求めていたのは、試合に負けても感動してもらえるような面白いサッカーだった。サポーターの支持が最初から得られたわけではない。結果が伴わない間は、批判や解任要求の声も聞こえてきた。
しかし、大倉の信念は揺るがなかった。湘南スタイルという理想を掲げ、プロクラブの存在意義を伝える努力を惜しまなかった。お客様を感動させるサッカーを追求していれば、必ず結果もついてくる。そう信じ、走り続けているうちに、ベルマーレはJ2からJ1に昇格。サポーターの反応にも変化が見られるようになった。
「中核のサポーターから、大倉さんの主張が理解できたって、言われたんです。いつの間にかサポーターのほうが内容に敏感になっていて、今日の試合は躍動してなかったよねとか、こんなのオレたちのスタイルじゃないよって。プロセスに目が向くようになっていましたね」
確固とした理念を掲げて、それを貫き通せば、サポーターにもこれだけ浸透していく。そうした実践への大きな手応えこそ、大倉がベルマーレで掴んだ何よりの成功体験だったのかもしれない。