「クラブの想いを聞きたかった」
2023年は天皇杯を制したが、リーグ戦は鬼木体制で最も低い8位で、今季は残留争いにも巻き込まれた。成績の責任は自覚している。しかし、川崎のためにやれることがあるならば、なんでもやろうとの想いでもあった。
だからこそ、去就に関しては、クラブの意見を聞きたかったという。クラブが自分のことをどう評価し、来季へどう進んでいきたいのか。その考えが分からないと、自分はどうすることもできなかった。
「監督を続ける、続けないっていうのは、自分が決められることではなかったので。順番としてはずっとお世話になっている川崎のことを第一に考えていました。自分をどう評価し、どう思ってもらっているかが大事でした。
それを踏まえたうえで、いろんな選択肢、他のチームに行くのか、もしくは今年はこういう成績だったのでもう一回チャレンジさせてもらうのか、監督は僕がやりたいと言ってやれる仕事でもないですし、そこを聞かせてくださいと話していました。去年のこともあったので、今後のことに関しては、もっと早く話そうと確認はしていたんですが、試合が立て込んでいて遅れてしまった部分もありました。ただ、ルヴァンに懸けていた想いがあったので、その前にスッキリしたかったという気持ちもありました」
9月からはリーグ、ルヴァンカップ、ACLを戦う過密日程にも入り、クラブとなかなか話し合いの場を設けられなかった。そのなかで実現したのが、ルヴァンカップ準決勝・新潟とのアウェーでの第1戦の前日、10月8日であった。
話し合いの末に出されたのは、周知の通り「未来に向けて進みたい」というクラブの意向であり、いわゆる鬼木体制からの卒業であった。
だからこそ、去就に関しては、クラブの意見を聞きたかったという。クラブが自分のことをどう評価し、来季へどう進んでいきたいのか。その考えが分からないと、自分はどうすることもできなかった。
「監督を続ける、続けないっていうのは、自分が決められることではなかったので。順番としてはずっとお世話になっている川崎のことを第一に考えていました。自分をどう評価し、どう思ってもらっているかが大事でした。
それを踏まえたうえで、いろんな選択肢、他のチームに行くのか、もしくは今年はこういう成績だったのでもう一回チャレンジさせてもらうのか、監督は僕がやりたいと言ってやれる仕事でもないですし、そこを聞かせてくださいと話していました。去年のこともあったので、今後のことに関しては、もっと早く話そうと確認はしていたんですが、試合が立て込んでいて遅れてしまった部分もありました。ただ、ルヴァンに懸けていた想いがあったので、その前にスッキリしたかったという気持ちもありました」
9月からはリーグ、ルヴァンカップ、ACLを戦う過密日程にも入り、クラブとなかなか話し合いの場を設けられなかった。そのなかで実現したのが、ルヴァンカップ準決勝・新潟とのアウェーでの第1戦の前日、10月8日であった。
話し合いの末に出されたのは、周知の通り「未来に向けて進みたい」というクラブの意向であり、いわゆる鬼木体制からの卒業であった。
成績によってクビを言い渡されるのは仕方ない。常に覚悟してきた。だが、話し合いの場を経て、すぐには消化しきれない想いが残ったのも事実であった。8年という長い期間、指揮を執ってきたのだから、当たり前の感情でもあるだろう。
大きすぎる出来事で、頭で考えないのは無理な話だった。でも、新潟戦に向けて選手に勘づかせるわけにはいかない。だからこそ、かなり気持ちのこもったミーティングを行なった。タイトルへの想いも表現したかった。
しかし結果は2試合合計で1-6の敗戦。小林悠も「熱い話をしてくれた。オニさんは負けたのは自分のせいと言うだろうけど、負けたのは選手たちのせい」と述懐していたのも印象深い。
そして今季限りでの退任が公式発表されてから2日後の10月18日、ホームでのG大阪戦ではサポーターから横断幕が掲げられた。
「俺達は最後まで鬼木フロンターレと共に!!」
「鬼木はフロンターレの宝だ」
その光景を見た瞬間、また涙が出そうになった。なんとも言えない感情に襲われた。
「(「鬼木はフロンターレの宝だ」という横断幕は)選手時代に鹿島から初めてフロンターレに来た時に掲げてもらったんですよ。『おい見たか、宝だってよ』と周囲に言って回りたいくらいに嬉しかったですし、味わったことのない感情でしたね。それをまた掲げてもらえて...。
ガンバ戦の横断幕もそうですし、ACLの時には自分の顔が描かれた巨大な横断幕も準備してくれた。あれはなんて表現をすれば良いんですかね、感動、ありがたさ...言葉ではなかなか表わせなくて、やっぱり気合いが入る。あの想いに恥じないものを見せないといけないと。もちろん勝ち負けもそうですけど、みなさんに観にきて良かったと思えるサッカーを披露しなくてはいけないと。
だからこそ、勝てなかった試合はすごく歯がゆかったですし、自分たちの目標とは離れたところになってしまいましたが、正直、残留が決まった時はホッとしました。最後、ここをどういう形で去っていくか、そこが大事だなと改めて思っていましたね」
サポーターと互いをリスペクトし合い、関係を築いてきた。退任が決まったあとの公開練習には長蛇の列ができるのが常だった。そして鬼木監督の手の甲にはサインペンで多くの文字が書かれていた。なぜか? サインにサポーターの名前を入れる際、間違えないように、自分の手に試し書きをしているのだという。
常に相手を気遣い、誠実に対応し、コミュニケーションを図る。それは選手らとの接し方でも変わらない。監督とは成績で評価される職業だ。斬新な戦術を披露すれば注目される。それでも最も大事なのは人と人のつながりなのではないか。この監督のために戦いたい、この監督を漢にしたい、そう思わせる人間味なのではないか。指導論や戦術論も重要だが、指揮官としての真髄を鬼木監督の姿に見たような気がした。
(第3回に続く)
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
■プロフィール
おにき・とおる/74年4月20日生まれ、千葉県出身。現役時代は鹿島や川崎でボランチとして活躍。17年に川崎の監督に就任すると悲願のリーグ制覇を達成。その後も数々のタイトルをもたらした。“オニさん”の愛称で親しまれ、今季限りで退任。
大きすぎる出来事で、頭で考えないのは無理な話だった。でも、新潟戦に向けて選手に勘づかせるわけにはいかない。だからこそ、かなり気持ちのこもったミーティングを行なった。タイトルへの想いも表現したかった。
しかし結果は2試合合計で1-6の敗戦。小林悠も「熱い話をしてくれた。オニさんは負けたのは自分のせいと言うだろうけど、負けたのは選手たちのせい」と述懐していたのも印象深い。
そして今季限りでの退任が公式発表されてから2日後の10月18日、ホームでのG大阪戦ではサポーターから横断幕が掲げられた。
「俺達は最後まで鬼木フロンターレと共に!!」
「鬼木はフロンターレの宝だ」
その光景を見た瞬間、また涙が出そうになった。なんとも言えない感情に襲われた。
「(「鬼木はフロンターレの宝だ」という横断幕は)選手時代に鹿島から初めてフロンターレに来た時に掲げてもらったんですよ。『おい見たか、宝だってよ』と周囲に言って回りたいくらいに嬉しかったですし、味わったことのない感情でしたね。それをまた掲げてもらえて...。
ガンバ戦の横断幕もそうですし、ACLの時には自分の顔が描かれた巨大な横断幕も準備してくれた。あれはなんて表現をすれば良いんですかね、感動、ありがたさ...言葉ではなかなか表わせなくて、やっぱり気合いが入る。あの想いに恥じないものを見せないといけないと。もちろん勝ち負けもそうですけど、みなさんに観にきて良かったと思えるサッカーを披露しなくてはいけないと。
だからこそ、勝てなかった試合はすごく歯がゆかったですし、自分たちの目標とは離れたところになってしまいましたが、正直、残留が決まった時はホッとしました。最後、ここをどういう形で去っていくか、そこが大事だなと改めて思っていましたね」
サポーターと互いをリスペクトし合い、関係を築いてきた。退任が決まったあとの公開練習には長蛇の列ができるのが常だった。そして鬼木監督の手の甲にはサインペンで多くの文字が書かれていた。なぜか? サインにサポーターの名前を入れる際、間違えないように、自分の手に試し書きをしているのだという。
常に相手を気遣い、誠実に対応し、コミュニケーションを図る。それは選手らとの接し方でも変わらない。監督とは成績で評価される職業だ。斬新な戦術を披露すれば注目される。それでも最も大事なのは人と人のつながりなのではないか。この監督のために戦いたい、この監督を漢にしたい、そう思わせる人間味なのではないか。指導論や戦術論も重要だが、指揮官としての真髄を鬼木監督の姿に見たような気がした。
(第3回に続く)
取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)
■プロフィール
おにき・とおる/74年4月20日生まれ、千葉県出身。現役時代は鹿島や川崎でボランチとして活躍。17年に川崎の監督に就任すると悲願のリーグ制覇を達成。その後も数々のタイトルをもたらした。“オニさん”の愛称で親しまれ、今季限りで退任。