圧巻の強さを誇った20年、21年につながった出来事
今季限りで川崎の指揮官を退任した鬼木監督だが、その決断までにはどんな想いがあったのか。川崎の監督としてのラストインタビューだ(全4回/2回)。
――◆――◆――
育成年代でも監督経験がなかったなかで、プロ監督初就任の2017年に川崎を悲願のリーグ制覇に導き、2度の連覇、1度のルヴァンカップ、2度の天皇杯の優勝と、計7つのタイトルを獲得してきた。
栄光に彩られた8年。傍からはそう感じられるだろう。それでも苦難の連続でもあった。
それこそ鬼木監督は常に強調する。タイトルは「自分の力だけではない」「みんなで掴んだ優勝だ」と。
三笘薫、守田英正ら現在の日本代表の中核を担う選手たちを擁した2020年、2021年は数々の記録を塗り替える、まさに無双ぶり、圧倒的な強さを示した。しかし、そこに辿り着くには、壁もあった。
2017年、2018年に連覇を果たしたチームであったが、指揮3年目の2019年は、勝ち切れない試合が増え、もどかしい日々が続いた。鬼木監督も「キツイな」と思う時期を過ごしていた。そんな時に支えてくれたのが周囲の人たちであった。
「成績が出ない時に、(当時のGMであった)庄子(春男/現・仙台GM)さんが事業部全体の食事会に『行くぞ』と誘ってくれたんです。でもやっぱり勝てていない負い目や、肩身が狭いような気持ちがあって『俺はいいです』と断ったんです。それでも庄子さんは『良いんだよ、こういう時こそ行くんだよ』と連れ出してくれた。すると、行って本当に良かったと思えたんです。事業部の人たちにはこう言ってもらえました。
「『何を言っているんですか、オニさん。17年、18年勝たせてもらっていて、そんなの気にしないでくださいよ』『それこそ、こういう時にオニさんを、チームを支えるために僕らがいるんですよ』」
涙の出るような想いだった。
さらにサポーターも常に温かい言葉をかけてくれた。
「『いつでも応援していますよ、信じていますよ』『気にしないでください、応援するから』って声をかけてくれた。当時はあまり人前に出たくないという気持ちもあったのですが、本当にありがたかったですね」
【PHOTO】両軍、クラブを発つ監督に勝利を!負けられない最終戦は家長・小林のゴール含む3得点で川崎が有終の美を飾る!|J1第38節 川崎3ー1福岡
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育成年代でも監督経験がなかったなかで、プロ監督初就任の2017年に川崎を悲願のリーグ制覇に導き、2度の連覇、1度のルヴァンカップ、2度の天皇杯の優勝と、計7つのタイトルを獲得してきた。
栄光に彩られた8年。傍からはそう感じられるだろう。それでも苦難の連続でもあった。
それこそ鬼木監督は常に強調する。タイトルは「自分の力だけではない」「みんなで掴んだ優勝だ」と。
三笘薫、守田英正ら現在の日本代表の中核を担う選手たちを擁した2020年、2021年は数々の記録を塗り替える、まさに無双ぶり、圧倒的な強さを示した。しかし、そこに辿り着くには、壁もあった。
2017年、2018年に連覇を果たしたチームであったが、指揮3年目の2019年は、勝ち切れない試合が増え、もどかしい日々が続いた。鬼木監督も「キツイな」と思う時期を過ごしていた。そんな時に支えてくれたのが周囲の人たちであった。
「成績が出ない時に、(当時のGMであった)庄子(春男/現・仙台GM)さんが事業部全体の食事会に『行くぞ』と誘ってくれたんです。でもやっぱり勝てていない負い目や、肩身が狭いような気持ちがあって『俺はいいです』と断ったんです。それでも庄子さんは『良いんだよ、こういう時こそ行くんだよ』と連れ出してくれた。すると、行って本当に良かったと思えたんです。事業部の人たちにはこう言ってもらえました。
「『何を言っているんですか、オニさん。17年、18年勝たせてもらっていて、そんなの気にしないでくださいよ』『それこそ、こういう時にオニさんを、チームを支えるために僕らがいるんですよ』」
涙の出るような想いだった。
さらにサポーターも常に温かい言葉をかけてくれた。
「『いつでも応援していますよ、信じていますよ』『気にしないでください、応援するから』って声をかけてくれた。当時はあまり人前に出たくないという気持ちもあったのですが、本当にありがたかったですね」
【PHOTO】両軍、クラブを発つ監督に勝利を!負けられない最終戦は家長・小林のゴール含む3得点で川崎が有終の美を飾る!|J1第38節 川崎3ー1福岡
そして自らの考えを改める出来事もあった。
「それこそ、監督としてどうなっていくのか迷っている時期で、一方でこのままのサッカーじゃ勝てないなというのはハッキリもしていました。しかも、ある時、今でも連絡を取る知人から言われたんです。『観ていて面白くなかった』と。
かなり重い言葉で、言われた最初の時は頭にきた部分もあったんですよ。僕らも一生懸命にやっていたので。だけど冷静になって考えてみると、お金を払って観にきてもらって面白くないって、自分たちのやっていることの意義ってなんだろうと。当時、優勝したのがマリノスで、そのサッカーはアタッキングフットボールと呼ばれて面白かった。また海外を見ればマンC、リバプールらみんなアグレッシブで、システム的に4-3-3でやってみるのもありなのかなと思い付いたんです。
改めて『面白くない』ってかなりの言葉で、そう言われて試合を見返したら、思われてもしょうがないなと、このままじゃいけないなと。そういう気持ちになりましたね」
2020年、基本システムを4-2-3-1から4-3-3に切り替え、圧巻のサッカーを見せたのはご存知の通りだ。当初は暗中模索で選手たちとも話し合いながら歴史に残るチームを作ってきた。選手たちも志の高い指揮官に感化されたのだろう。誰もが仲間たちと高いレベルを求め合った。
そんな高レベルなチームに辿り着けたのは、やはり周りの人たちの支え、そして選手たちとの信頼関係があってこそだったのだろう。
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「それこそ、監督としてどうなっていくのか迷っている時期で、一方でこのままのサッカーじゃ勝てないなというのはハッキリもしていました。しかも、ある時、今でも連絡を取る知人から言われたんです。『観ていて面白くなかった』と。
かなり重い言葉で、言われた最初の時は頭にきた部分もあったんですよ。僕らも一生懸命にやっていたので。だけど冷静になって考えてみると、お金を払って観にきてもらって面白くないって、自分たちのやっていることの意義ってなんだろうと。当時、優勝したのがマリノスで、そのサッカーはアタッキングフットボールと呼ばれて面白かった。また海外を見ればマンC、リバプールらみんなアグレッシブで、システム的に4-3-3でやってみるのもありなのかなと思い付いたんです。
改めて『面白くない』ってかなりの言葉で、そう言われて試合を見返したら、思われてもしょうがないなと、このままじゃいけないなと。そういう気持ちになりましたね」
2020年、基本システムを4-2-3-1から4-3-3に切り替え、圧巻のサッカーを見せたのはご存知の通りだ。当初は暗中模索で選手たちとも話し合いながら歴史に残るチームを作ってきた。選手たちも志の高い指揮官に感化されたのだろう。誰もが仲間たちと高いレベルを求め合った。
そんな高レベルなチームに辿り着けたのは、やはり周りの人たちの支え、そして選手たちとの信頼関係があってこそだったのだろう。
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