2強時代に終止符を打った「チョリスモ」。
就任1年目にEL、2年目にスーパーカップ、国王杯と常にタイトルを手にし、就任当初の不安定な状態を考えれば、望外とも言うべき成果を残してきたシメオネとアトレティコ。しかし、彼らのリーグ制覇という大望は叶っていなかった。
というもの、過去9年間にわたってリーガの覇権はバルサとマドリーが分け合い、さらにこの2チームが極端に優遇されたテレビ放映権料の分配率の不公平さから財政力格差が広がり、2強の牙城を崩すのは不可能だとされていたのだ。
事実、アトレティコは経営上の都合から、迎えた13-14シーズンの開幕前にファルカオをモナコに手放し、戦力ダウンは必至と見られていた。
しかし、「チョリスモ(シメオネ主義)」を植え付けられたアトレティコは、周囲の予想に反して勝利を重ね、開幕8連勝でロケットスタートを切ると、失速することなくバルサ、マドリーに並び、優勝戦線を沸かせる。
前シーズンに台頭したD・コスタが27ゴールを挙げて攻撃を牽引したことで、シーズン前、最大の不安要素だったファルカオ退団の穴は見事に埋まった。
中盤ではコケ、アルダ・トゥラン、ガビ、チアゴらが試合を巧みにコントロールし、最終ラインは、シメオネが後に「絶対に手放せない」と絶賛したディエゴ・ゴディンを中心に強固な壁を作り、敵の攻撃を阻み続けた。
こうして、熱血漢シメオネの下で、2強に勝るとも劣らない機能美を誇ったアトレティコは、終盤戦も息切れすることなく首位をひた走り続けた。
そして、引き分け以上で優勝となる最終節、カンプ・ノウでのバルセロナ戦を1-1で乗り切り、1995-96シーズン以来、18シーズンぶり10度目のリーガ戴冠を成し遂げ、長きにわたる2強時代に終止符を打ったのである。
リーガを席巻した力はCLにおいても発揮され、決勝トーナメントでミラン、バルセロナ、チェルシーという欧州のメガクラブたちを次々に撃破し、決勝に駒を進めた。
リスボンで行なわれた決勝は、奇しくもマドリード・ダービー。アトレティコはゴディンのヘディング弾で先手を奪うも、後半アディショナルタイムに悪夢の同点弾を食らう。力尽きた延長戦ではマドリーに3ゴールを許し、苦汁をなめた。
千載一遇のチャンスを逃したアトレティコ。しかし、欧州最高峰の舞台で最大級のサプライズを巻き起こしたチーム、そしてこれを率いたシメオネには、シーズン終了後、王者マドリーに比肩するほどの称賛を浴びせられたのである。
――◆――◆――
シメオネ到来以降、弛まぬ努力とハードワークでチーム一丸となり、いかなる大敵や困難にも果敢に挑み続けてきたアトレティコのスタイルは、まさしく指揮官の現役時代を彷彿とさせるものである。
アルゼンチン生まれの熱血漢シメオネと、「チョリスモ(シメオネ主義)」が根ざして復活を果たしたアトレティコ。永遠に語り継がれるであろう偉大な関係は、この先、両者にいかなる未来をもたらすか――。その歩みには、今後も目が離せない。
というもの、過去9年間にわたってリーガの覇権はバルサとマドリーが分け合い、さらにこの2チームが極端に優遇されたテレビ放映権料の分配率の不公平さから財政力格差が広がり、2強の牙城を崩すのは不可能だとされていたのだ。
事実、アトレティコは経営上の都合から、迎えた13-14シーズンの開幕前にファルカオをモナコに手放し、戦力ダウンは必至と見られていた。
しかし、「チョリスモ(シメオネ主義)」を植え付けられたアトレティコは、周囲の予想に反して勝利を重ね、開幕8連勝でロケットスタートを切ると、失速することなくバルサ、マドリーに並び、優勝戦線を沸かせる。
前シーズンに台頭したD・コスタが27ゴールを挙げて攻撃を牽引したことで、シーズン前、最大の不安要素だったファルカオ退団の穴は見事に埋まった。
中盤ではコケ、アルダ・トゥラン、ガビ、チアゴらが試合を巧みにコントロールし、最終ラインは、シメオネが後に「絶対に手放せない」と絶賛したディエゴ・ゴディンを中心に強固な壁を作り、敵の攻撃を阻み続けた。
こうして、熱血漢シメオネの下で、2強に勝るとも劣らない機能美を誇ったアトレティコは、終盤戦も息切れすることなく首位をひた走り続けた。
そして、引き分け以上で優勝となる最終節、カンプ・ノウでのバルセロナ戦を1-1で乗り切り、1995-96シーズン以来、18シーズンぶり10度目のリーガ戴冠を成し遂げ、長きにわたる2強時代に終止符を打ったのである。
リーガを席巻した力はCLにおいても発揮され、決勝トーナメントでミラン、バルセロナ、チェルシーという欧州のメガクラブたちを次々に撃破し、決勝に駒を進めた。
リスボンで行なわれた決勝は、奇しくもマドリード・ダービー。アトレティコはゴディンのヘディング弾で先手を奪うも、後半アディショナルタイムに悪夢の同点弾を食らう。力尽きた延長戦ではマドリーに3ゴールを許し、苦汁をなめた。
千載一遇のチャンスを逃したアトレティコ。しかし、欧州最高峰の舞台で最大級のサプライズを巻き起こしたチーム、そしてこれを率いたシメオネには、シーズン終了後、王者マドリーに比肩するほどの称賛を浴びせられたのである。
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シメオネ到来以降、弛まぬ努力とハードワークでチーム一丸となり、いかなる大敵や困難にも果敢に挑み続けてきたアトレティコのスタイルは、まさしく指揮官の現役時代を彷彿とさせるものである。
アルゼンチン生まれの熱血漢シメオネと、「チョリスモ(シメオネ主義)」が根ざして復活を果たしたアトレティコ。永遠に語り継がれるであろう偉大な関係は、この先、両者にいかなる未来をもたらすか――。その歩みには、今後も目が離せない。